photo: R&G Photography
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2011年11月
2011年11月23,24日、ヴィーン、ヴェルディ「レクイエム」

ワーグナー圏からのメゾ・藤村実穂子は 細くともがっしりとした力で高音を歌った。ゲアハルト・クラーマー、ヴィーナー・ツァイトゥング

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2011年11月
2011年11月20日、ライプツィヒ、ヴェルディ「レクイエム」

満たされ、暖かに、円かに、かつ威圧的に、メゾの藤村実穂子は「Lieber scriptus profetetur」でホールを持ち上げた。
ライプツィガー・フォルクス・ツァイトゥング

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2011年11月
2011年11月18日、ドレスデン、ヴェルディ「レクイエム」 

藤村実穂子は必ずしも易しいとは言えないこのメゾ・パートを暗い音色で、非常に安定した力強い声で全ての高音、
低音を確然と誘導し、神の審判を劇的に恐れる念と救世への望みの間を測深した。
イングリッド・ゲルク、デア・ノイエ・メルクア

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2011年10月
2011年10月DVDシェーンベルグ・グレの歌・マリス・ヤンソンス指揮・バイエルン放送交響楽団

ほとんどの聞き手には音楽的、オラトリオ全体のドラマ的最高点は「森の鳩の歌」である。ここでは藤村実穂子によって素晴らしく歌われている。このシーンではヴァルデマーの嫉妬深き女王の手によるトーヴェの死に出会った森の鳩が、トーヴェの葬式を描写する。藤村はこの音楽を驚愕するほどの譴責と憐憫の併有で歌いだしている。
アルロ・マッキノン・オペラニュース・2011年7月

この最高にバランスのよい閲読の核は、あなたが聞きたいと望んだメゾ藤村実穂子のアカウントによる、非常に情熱的でドラマチックな「森の鳩の歌」である。 アーノルド・ウィットオール・グラムフォン2011年7月

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2011年7月
2011年 7月CDマーラー交響曲第3番・ジョナサン・ノット指揮・バンベルグ交響楽団

ゆっくりとした各楽章は内面が灼熱する。ニーチェの真夜中の歌は、簡潔に言って今までで最高の解釈をした一人藤村実穂子によって味わう事ができる。 シュベービッシェ・ツァイトゥング2011年6月18日

ニーチェの節付けの音の幽愁に沈むのは、屈指のソリスト藤村実穂子だった。デア・ラインプファルツ2010年5月

藤村実穂子の暖かいメゾの声は、深く感じ取った表現で存在の元の原因に潜った (おお人間よ気を付けよ)。クラシック.コム2010年5月

ニーチェの筆によるツァラストラの夜の逍遥の歌はメゾの藤村実穂子によって引き揚げられた。最高に力強い低音、はっきりとした音程で 「その痛みは深い」は主張された。BNN2010年5月

藤村実穂子の声はミステリアスなのに若々しく新鮮だ。BBCミュージックマガジン2011年10月15日

素晴らしく接地した藤村実穂子。 ロンド2011年9月

哀調を帯びた藤村実穂子は焦点がピタリと合って如才がない。グラムフォン2011年10月15日

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2010年7月
フリッカ バイロイト

「ラインの黄金」については、新キャストになった事を喜ぶしかない。何を置いても一番の収穫は歌手としても、また演技も飛び抜けていたフリッカの藤村実穂子だ。この「指環」で既にワルトラウテとエルダで聞かせた日本のメゾは、ついに大きなスケールを持った神々の妻だ。歌手としてデリケートで表現力に満ち、結婚と誓いを守る絶対的な女神の役にふさわしい尊厳を持った姿を示した。
モニカ・ベーア、フレンキッシャー・ターク

フリッカの藤村実穂子の声は心地よく目立ち、エネルギッシュであった。、ノルド・バイエリシャークリエ

ブリュンヒルデは颯爽とした藤村実穂子に破れてしまった。マルクス・ティール、ミュンヒナー・メルクア

喝采を浴びたのは藤村実穂子のフリッカだった。ズュートドイチェ・ツァイトゥング 

フリッカの藤村実穂子だけが純然と説得させた。イン・フランケン2010年7月

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2010年6月
マーラー交響曲第3番 フィラデルフィア

歌の入る楽章は、2006年のヨーロッパツアー中にマティアス・ゲルネの代役を務めた藤村実穂子の歌唱により、 大変にうるおった。藤村のおびただしい芸術的成長は、フリードリッヒ・ニーチェの言葉の投射影に、最もはっきりと現れた。
デイビット・パトリック・ステアーンス、フィラデルフィア・インクワイアー、2010年6月12日

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2010年5月
マーラー交響曲第3番 2010年5月28日

「おお人間よ、気をつけよ」を藤村実穂子は暖かいメゾの声で、存在の根源原因を低く感じ取った表現で歌った。

エゴン・ベッォルド クラシックコム

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2009年10月
「グレの歌」 2009年10月22日

ソリストは、まず第一に抜きん出ていた藤村実穂子、この作品のドラマをこれ以上に捕らえるのは無理というキャスティングであった。
ディ・プレッセ dob

藤村実穂子は彼女の森の鳩のシーンを、作品の中心としてしまった。ロベルト・ブラウンミュラー

藤村実穂子はトーヴェの死のバラードを、水晶の様な精密さで歌った。ズュート・ドイチェ・ツァイトゥング エゴベルト・トル

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2009年2月
東京新聞2009年2月26日掲載

東京芸大大学院を修了し、故ハンス・ホッターのもとで大好きなドイツリートを学ぶため、ミュンヘンに一九九二年留学した。オペラ歌手として有名にならなければ、日本人のリートの夕べには誰も来ないよ、と多くの人に言われ、一九九五年にグラーツ歌劇場(オーストリア)の専属歌手になった。その後は本当に人種差別との戦いだった。

オペラハウスまでの一日二回往復の電車に乗って降りるまで、私のことをまるでごみであるかの様に見る人は一人や、二人ではない。クリーニング、靴の修理、あらゆるところで料金は二倍三倍にふっかけられ、おつりも少なく返ってくる。スーパーでは会計の女性がレジを待っている私を見ながら知り合いと二十分もしゃべり、結局ふてくされてレジを打ち、お金を払うと、おつりを床に投げつけた。まるで貧者に恵むお金のように。私は黙って床にひざまずいておつりを拾い集めた。

こんな経験を一日何度も繰り返す日々が毎日続くと、いつか自然に自分に問いただす。「ヨーロッパ文化の粋」といわれるオペラを、アジア人の私が、何故こんな思いをしてまで歌わなければならないのか。いったい自分は何のために生まれてきたのか」と。自分が欧米人として、少なくともハーフで、何とか欧米人の外見を持って生まれていれば、オペラの世界でこんなに苦労はしなくてもよかったはずだ。欧米人歌手とアジア人である私が同じレベルにいれば、決して誰も私を使わない。だから欧米人の10倍も、それで足りなければ100倍も努力しなければならない。神様はなぜ私をアジア人として生まれさせ、オペラという異文化の世界に送り、こんなに沢山の苦労を他の誰でも無く、私にさせたがるのだろう。

問い続けていると、いつかこんな答えが出た。神様はきっと私に学ばせたかったのだ。差別されることによって、人の痛みというものを知り、日本に住んでいれば分からなかったであろう広い世界を見、今まで知らなかった文化の人と知り合い、一緒に働くことによって、物事を違う面から見ることが出来るよう学びなさい。理論でなく、脳みそでなく、紙の上の論でなく、体をもって経験しなければ魂の学びではない、と。

そう思うと私は幸せ者だ。これでもか、これでもかというほどの困難がある。四年前から他の仕事を断り続けて空けていた三ヶ月のプロジェクトを、私が日本人だからという理由で、降ろされたりもした。ヨーロッパのどの都市に行っても、ホテルと空港とオペラハウスしか知らない。美しい有名な街にいても、風邪を引けないので観光名所にも美術館にも中々行けない。アジア人と音楽をすることに拒否感のある人や、人をいじめて自分は偉くなった気になる人と、その日それなりの問題が起き、苦労し、つらい思いをする。

しかし何があっても「これも学び」と思えば、感情的にならずに、ふっとわれに返ることができる。歌手であるということは、既にある楽譜を取り、自分の解釈で、自分という媒体を使って人に伝えるという作業である。つまり芸術とはその人そのもの、それ以外の何物でもない。音楽の神に仕えさせて頂ける媒体の私にとって、痛みは肥やしである。 大好きなリートの勉強のために行ったヨーロッパで色々な経験をし、やっと今、大好きなドイツ歌曲の夕べが開けるようになった。沢山あるリートの中から今回のプログラムを選ぶのに、一年掛けてしまった。今からわくわくし、楽しみで仕様がない。

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2009年2月
所沢ミューズ機関紙 2009年2月掲載

Q:東京芸大、ミュンヘン音楽大学で勉強なさり、1995年ヨーロッパデビューされて以来、世界のあらゆる大舞台で引っ張りだこでいらっしゃるわけですが、この十数年を振り返っていかがでしたでしょうか。大切にしていらっしゃる「経験」や「教え」のようなものがあれば教えてください。

欧米人が日本の歌舞伎座に出演するところを想像してみて下さい。その逆、ヨーロッパ芸術の集合芸術といわれるオペラに、アジア人が、しかも日本人の「蝶々さん」ではなく、「欧米人」として舞台に立ち、表現しようというのです。14年たった現在も私は「人種差別」との戦いです。「痛み」が供わないわけがない。アジア人の私がコケれば、「待ってました!」とばかりに、代わりの欧米人はいくらでもいます。欧米人と日本人が同じ「レベル」にいれば、歌劇場は欧米人を採用するに決まっています。では「1メートル」「1秒」といった物差しのない音楽界において「レベル」とは何か。 うたうということは、その人そのものと思っています。肌の色によって苦労しているものは、少なからず私の実になり、音楽にも自然に現れてしまっていることでしょう。私は人が生を受け、この世に生まれてくるのは、この世でこういう事を学びなさいと、神が我々に宿題を与えるからだと思っています。これは別に哲学や宗教でなく、苦労があまりにも重なった末、自然に生まれてきた、私自身の経験則です。かといって苦労した人の音楽が必ずしも素晴らしいという訳はない。変な誇りや間違った自己愛をきれいさっぱり落としてからでないと、苦労を「勉強」として受け入れることは出来ません。謙虚で感謝の心があって初めて、苦労や痛みが「自分のもの」になる、「人間としての勉強(イコール神様からの宿題)」が出来る。だから毎朝目が覚めると「いつ死んでも好いように、今日という日に出来るベストを尽くそう」そう思いながら、日々生きています。

Q:これだけ多くの大舞台で演じられて、体調・声を良い状態に保つ秘訣を教えて下さい。

新しい役を暗譜しているときは朝4時に起きて夕方4時まで勉強し、その後夜の10時まで事務仕事をします。この18時間労働は日曜日も祝日もなく、毎日ですので、日頃から風邪を引かないのも芸術のひとつと、冗談抜きで思っています。例えば日本から私を聞きにウィーンまで飛んでこられた方に対して、「昨日、強風の中着用したセーターが1枚少なかった為、風邪を引きました、今日はキャンセルです、はいごめんなさい」では済まされないからです。「都市から都市へと移動して、沢山観光できる うらやましい職業」という方がいらっしゃいますが、大間違い。私はどの都市へ行っても空港、ホテル、オペラハウスしか知りません。ウィルスがうつる、人の沢山いる所へは行かない、風の中を歩かない、タバコを吸う人が横にくれば食事半ばでもすぐに出る、大袈裟な程厚着をする、何しろ手を洗う、声帯を使いたくない為、なるべく話さないで必要時は筆記談、就寝時はのどを巻いて寝る、コーヒー、砂糖、スナック類、肉、アルコールは一切摂取しない、野菜、果物、魚類を中心に採り、毎日体力保持のため1時間ジョギングするなど、24時間毎秒毎分、喉のこと、体のことしか考えていません。歌手であることは「喉及びからだの奴隷」であるということです。マドリッドに2ヶ月もいて、なぜプラド美術館に行けないのか?聴衆に対して「美術館待ちの入り口の列で風邪を引きましたので歌えません」とは、私にはどうしても言えないからです。

Q:オペラでの活躍の場の多い藤村さんですが、前回MUSEではブラームスのワーグナーの歌曲を取り上げていただきました。リートに対する思い、また聴衆へメッセージをお願いいたします。

私は心からリートを愛しています。実はドイツに行ったのは「リート」の勉強をするためだったのです。歌曲のレパートリー130曲ほどあるでしょうか。しかし「ではなぜリートがそんなにお好きなんですか?」と聞かれても困ってしまう。皆さんも「なぜクラシック(或いはオペラや室内楽)が好きなのか」と聞かれても、「肌に合うから」とか「ほっとするから」とは言えても、「ではなぜ、肌に合い、ほっとするのか」という理由は挙げられないのではないでしょうか。私はその「わけなし」というところが音楽の魅力だと思っています。理屈や、うんちくや、そういった事はまず忘れていただいて、ただ音に身を任せてみて下さい。本来音楽はそういうものだと、私は思っています。

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2009年10月
大阪 リーダーアーベント 2009年10月25日

「神殿に響く啓示」体験 バイロイト、ミュンヘン、ウィーンをはじめ、欧州のオペラハウスでひっぱりだこのメゾソプラノ藤村実穂子が、ドイツ歌曲のリサイタルで圧倒的な実力を見せつけた。プログラムはシューベルト、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集、リヒァルト・シュトラウス、マーラーの「リュッケルトの5つの歌曲」(2月25日、大阪いずみホール)。彼女の音楽を特徴付けるのは、声楽につきまといがちな偽りの情熱を徹底的に蒸留した、凛とした彫琢(ちょうたく)だ。驚くべき鍛錬を経た、技術的な裏づけもあるだろう。完璧な発音、歌詞の読み込み、綿密に彫り込まれた音程。しかも全てが何の作為もなく流れていく。しかしそれらは「日本人がよくぞドイツの歌曲をここまで」といった月並みな賞賛をはるかに超えた次元へと突き抜けている。ここにあるのはいわば「沈黙から生まれ、沈黙へ戻っていく音楽」だ。どの歌もモノローグのようにさりげなく始まる。しかし彼女のいくぶん翳(かげ)りのある端正な声は、瞬く間に聴衆を一つの大きな呼吸の中に導きいれ、我を忘れさせ、やがて神殿に鳴り響くような啓示となる。だが、誰かにあえて聞かせようとするのではない。これは限りなく内面に沈潜し、その孤独が宇宙の共振になるような音楽だ。そして歌い終わった跡には再び静寂が残る。その意味で、彼女のワーグナーやワーグナーに耳を傾けることは、ほとんど祈祷に似た体験であった。ロジャー・ヴィニョールズの伴奏も素晴らしく、例えばシューベルトにおける弱音が幾重にもにじみながら波紋を描き、そこから声が浮き上がってくる様子など、息をのむようなものであった。稀有の演奏会とはこのようなものを言うのであろう。岡田暁生・音楽学者 朝日新聞2009年3月6日夕刊

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2009年3月
東京 リーダーアーベント 2009年3月3日

「非日常へ誘い込むワーグナー」
 ドイツで地歩を固めるメゾソプラノの藤村実穂子が、東京で歌曲の夕を開いた。バイロイト音楽祭におけるワーグナーの楽劇で次々に成功を収めてきた藤村は、歌曲においてもワーグナーで非日常の魅力に満ちた深い世界を展開した(3日、紀尾井ホール)。

初めのシューベルトの5曲から、彼女は本質的でありながら独自の個性を示した。ある種、無色に近いような声で、一般的に抒情(じょじょう)に流れ がちなシューベルトの演奏を自ら戒めるように、過剰なものを一切排す。意味の無い音を一音も作らない。そこには、才能あふれるままに作曲したシューベルト ではなく、一音一音を突き詰めて構造的に作曲した、近現代に通じるような作曲家像が浮かび上がり、新鮮であった。とりわけ「ギリシャの神々」は抑えられた 清冽(せいれつ)な感情が沈み込むようで、深い世界を見ることができた。

 続いてワーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」に入ると、声に光と影が深く差し、一転して物語性を帯びてくる。たとえば微妙に音程を下げてそれが 解決されるとき、背後に甘い魅力がにおう。それは、ずり上げ・ずり下げではなく、そこにワーグナーの官能性を引き出す感性である。かげりを帯びたなかで展 開される多彩な色など、ワーグナー独自の感覚、語法が多様に繰り出されて、聴き手は自然に、夢と痛みがないまぜになった非日常へ誘い込まれる。第3曲「温 室で」の旋律は、ワーグナーが悲恋を描いた楽劇「トリスタンとイゾルデ」の第3幕に用いられているモチーフだが、そのままイゾルデの愛と死への思いが届い てくるよう。

 ピアノのヴィニョールズも、どの音を表に出すか和音のバランスが考え抜かれており、音楽の奥行きが素晴らしく深い。この曲でも、“トリスタン”第3幕前奏の低弦の響きを聴かせながら、ピアノでなければ出せない切なさをかもし出して、絶妙であった。

休憩後はR・シュトラウスとマーラー。R・シュトラウスでは、もう少し、崩れる寸前のような魅力も欲しいが、声自体としてはさらに伸び、メゾの深みを持ちながら力強い輝かしさを聴かせた。梅津時比古(専門編集委員) 毎日新聞 2009年3月10日 東京夕刊

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2009年8月
バイロイト2009年「パルジファル」(クンドリ)

ゴルゴタ道中のキリストを笑った、世紀にわたる多生のクンドリの苦悩を演じる藤村実穂子は、主役の中で最高であった。ワーグナーはクンドリを最初の二幕で荒々しい同志の助力者やクリングゾアの愛の奴隷にし、パルジファルを誘惑させようとしたが、藤村のクンドリはそれ程狂気でない。彼女の歌唱は完璧で、4オクターブのフォルティッシモのクンドリのテーマも容易にこなしてしまう。イントネーションも。ピッチも、フレージングまでも。ジヨージ・ジャーン、サン・フランシスコ・クロニクル 2009年8月28日

スターはクンドリの藤村実穂子だった。白と赤の衣装で、またはディートリッヒの衣装でパルジファルを誘惑するのだが、その代わりに、明白で典雅な音、しっかりした高音とドイツ語の発音(この分野では希少価値)で聴衆を誘惑してしまった。シュテファン・M・デットリンガー マンハイマー・モルゲン 2009年8月5日

バイロイト「パルジファル」でのスターは藤村実穂子のクンドリだった。思わず息をのむような可変性に富んだ彼女のクンドリでは、彼女の豊満な声の明暗法全てを満喫出来た。パウル・ヴィンタラー、メルクア 2009年8月3日

藤村実穂子のクンドリは多層的で多種多様で、聴衆から多大な拍手を得た。トーマス・ハイノルド、ニュルンベルガーツァイトゥング、2009年8月3日

藤村実穂子のクンドリは、ある時はヴァーンフリートの女中、ある時はマルレーネ・ディートリッヒと、全くもって魅惑的だった。ノイエ・ムジーク・ツァイトゥング、2009年8月2日

藤村実穂子はクンドリーとして、説得力のある人物像を描いた。ヨアヒム・ランゲ、デア・スタンダード、2009年8月3日

傑出した歌手は魅惑的な藤村実穂子のクンドリだった。ペネロペ・チュリング、ザ・ステージ 2009年8月24日

卓越したキャストのまず最初は藤村実穂子(クンドリ)。ルパート・クリスティアンセン、ザ・テレグラフ 2009年8月4日

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2009年7月
バイロイト2009年ラインの黄金(エルダ)

この指環の最初も総括的にあまりの大声で、歌詞が明瞭に聞こえないまま歌われた。ほんの少しの歌手だけが、静かな音と歌詞の聞こえるバイロイトの音響の恵みを知っている。それが理想的な時どう響くのかを、藤村実穂子のエルダは「ラインの黄金」で標榜した。フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング クリスティアン・ヴィルト・ハーゲン 2009年7月30日

藤村実穂子の、声と共にすぐに魔法の広がるエルダがなければ、どこか他のフェスティヴァルを選べばよかったと思う程であった。フレンキッシャー・ターク、モニカ・ベア2009年7月29日

藤村実穂子は秀麗なアルトで、奇跡的な花が咲いたようなエルダであった。OPオンライン、クラウス・アッカーマン、2009年7月29日

藤村実穂子のエルダは水晶の様に澄んでいた。フォークス・オンライン2009年7月28日

藤村実穂子のエルダは、べくしておびただしい拍手を浴びた。ノイエ・メルクア、アントンクパク2009年7月28日

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2008年12月
ウィーン国立歌劇場「神々の黄昏」

日本のメゾ藤村実穂子のワルトラウテは演技の集中力と言葉のはっきり分かる発音で、主役のブリュンヒルデをやっつけてしまった。ウルリッヒ・ヴァインツィール、ディ・ヴェルト

藤村実穂子のワルトラウテはまぶしく輝く光だった。マリアンネ・ツエグラー・フークト、ノイエ・チューリヒャー・ツアイトゥング

誰よりもまず藤村実穂子(ワルトラウテ)がアンサンブルのレベルをアップさせた。ゲルト・コレチュニック、クリエー

藤村実穂子は声がしっかり通り、強弱などの違いをはっきりさせたワルトラウテだった。ヴォルフガング・シュライバー ズュートドイチチェ・ツァイトゥング

集中力の役者藤村実穂子のワルトラウテ。藤村実穂子は悲しいワルキューレとして表現に満ちた歌を歌った。ヴィルヘルム・シンコヴィッツ、ディ・プレッセ

藤村実穂子は素晴らしいワルトラウテだった。ハインツ・ジヒロフスキ、ニュース

藤村実穂子のワルトラウテのシーンは感激の場面のひとつだった。カール・レーブル、オエースタライヒ

藤村実穂子は切羽詰ったワルトラウテを演じきった。エルンスト・ナレディ・ライナー、クライネツァイトゥング

嬉しいことに藤村実穂子のワルトラウテは新鮮に響いた。クリストフ・イルゲーヤー、ウィーナー・ツァイトゥング

日本のメゾ藤村実穂子がワルトラウテとして印象に残った。サイモン・モーガン、AFP

藤村実穂子に拍手喝采が送られた。クラスニッツァー dpa

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2008年11月
しらかわホール機関紙 2008年11月

ドイツのミュンヘンに留学して以来、ヨーロッパに住んで16年になる。今は亡くなってしまったハンス・ホッター先生について、大好きなドイツリートのレッスンを受けるのが目的だった。欧米人は見分けがつかないので、「アジア人」として差別されることに慣れなくてはならなかった。16年たった今でも人種差別との戦いである。ましてや欧風文化の集合体といわれるオペラの舞台に、しかも日本人の「蝶々夫人」ではなく、欧米人として立ち、演技をしようというのである。欧米人が日本の歌舞伎座に出演するようなものである。当たり前だが、表現出来ないほど痛い思いをし、今でもそういう思いをしている。なぜこんなに苦労しなければならないのか、なぜこんなに痛い思いをしなければならないのか、いつも問うこととなる。しかし「痛み」を何度も繰り返すといつか経験則が出来る。人が生を受けこの世に生まれてくるのは、この世でこういうことを学びなさいと、神が我々に宿題を与えてくれているのではないかと。もしそうだとすれば、私は非常に幸せな人間ということである。ならばベストを尽くさねばならない。しかしこのベストを尽くすという言葉は中々のくせものだ。何でもがむしゃらにやって、それを努力とするのは、残念ながら自己満足以外の何物でもない。自分の弱さ、思い上がり、欠点を振り返り、受け入れることが出来なければ、苦労を決して自分のものに出来ない。謙虚で感謝の心があって初めて、苦労や痛みが自分のものになる、人間としての勉強が出来る。沢山勉強したいので、早朝に起きて夕方4時まで勉強をして、夜の10時まで事務仕事という約16時間労働を休日なく過ごしている。風邪を引かないのも芸術(当然だ、うたえないのだもの)と、人の沢山いる(ウィルスの溜り場)所には行かない、喫煙者がいれば食事半ばでもすぐに出る、筆記談、コーヒー、砂糖、スナック類、肉、アルコールは一切摂取しない、体力保持の為毎日1時間ジョギングし、24時間毎秒毎分、喉のこと、体のことを考える。歌手であることは、「楽器である喉とからだの奴隷」ということである。なぜここまでして音楽がしたいのか?ときかれても困ってしまう。「なぜドイツリートが好きなのか?」と聞かれても困るのと同じである。だが、その「わけなし」が音楽のいいところだと思っている。音楽にうんちくも情報も理屈も知識も必要ない。音楽に身を任せることが出来ればそれ以上のものはない。でなければ音を楽しむことは出来ない。私にとって「生きる」ということはこれ以外に、無い。

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2008年7月
バイロイト音楽祭

藤村実穂子のクンドリーは強烈で、バイロイトで最高のものだ。ファイナンシャル・タイムズ、アンドリュー・クラーク 2008年7月28日

日本人のクンドリー藤村実穂子は、今までの全ての歌手とは違って動き、違った歌、違ったジェスチャー、違った顔の表情を示した。アドリブといった物は全く無く、この神経衰弱の音楽への解決となる、複雑な演技の表現主義を、まるで普通であるかのように演じた。藤村のことは忘れることが出来ない。2幕の彼女の巨人的な飛び「lachte」は私の全バイロイト滞在中唯一最も感動した瞬間となった。藤村の「Ich sah das Kind」は魅力的だった。ロビン・ホロウェイ、オペラマガジン 2008年10月

クンドリーの藤村実穂子は考え抜かれた歌唱で、今までより違った謎に満ち、「女性的」であるのは勿論、母性的、魅惑的、そして最後幕に女性市民になる。フランクフルターノイエプレッセ、アンドレアス・ボンバ、2008年7月26日

藤村実穂子のクンドリーは歴史的に阻害されたパルジファルの母ヘルツェライデを通し、深く相反した女性像を描いた。フランクフルター・ルンドシャウ、ハンス・ユルゲン・リンケ 2008年7月27日

藤村実穂子は或る時はかわいい女中、そして金髪のメルレーネ・ディートリッヒの混合を演じることの出来る、謎に満ちた、素晴らしく可変なクンドリだ。ウィーナーツァイトゥング、フォークス、DPA 2008年7月26日

藤村実穂子は変化に応変し声も柔軟なクンドリーだった。デア・シュピーゲル、ウェルナー・トイリッヒ 2008年7月26日

藤村実穂子のクンドリー公演は勇敢だ。 ザ・ガーディアン、マルティン・ケトゥル 2008年8月2日

藤村実穂子は絶望し心痛むクンドリーだ。 ニューヨークタイムズ、マイケル・キメルマン 2008年7月30日

藤村実穂子の演じるクンドリーは動物的なパワーと精神的多様性に満ちている。ブルームバーグニュース、シャーリー・アプソープ 2008年7月28日

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2008年3月
2008年3月ヴェーゼンドンクの歌曲・マリス・ヤンソンス指揮・バイエルン放送交響楽団

細身の藤村実穂子が今夕のワーグナーコンサートに、真の興奮を与え、沸き起こる感情の力で、この公演を星の様な演奏に方向転換させた。ロイヤルオペラで藤村のワルトラウテを聞いた者は、彼女がほんの小さな事柄から多くを拾い出すことを知っている。これを彼女はまるで当然であるかの様に行った…頻繁にワーグナーのかげろう作品として,勇ましい婦人達に服従使い古されるこの曲に対しても。

ヴェーゼンドンクの歌曲のメロウな情趣は、メゾ藤村実穂子の優しく同時に情熱的に開花できる音色で、胸を刺す様に歌われた。テレグラフ・ジョージ・ノリス2008年3月11日

ヴェーゼンドンクの歌曲は静寂のオアシス(元々はピアノ伴奏)となり、多くのオーケストラ奏者が舞台を去って比較的大きな室内楽オーケストラとなり、ほとんどがモットゥルの手によるオーケストレーションであるこの曲を解釈できる最高のメゾの一人藤村実穂子を伴奏するために残った。この六曲をよいツィクルスにするのは難しい。しかし彼女はふさわしい昵懇と、この巨大なホールを満たす為自分の声に膨らみをもたせる自分を時折認め、ヤンソンスはそのような彼女を洗練さと裁量で支えた。ミュージカルポインターズ・ペーター・グラハム・ウールフ

ヘルクレスザールで、このヴェーゼンドンクを聞くことは、聴衆にとっても、響きとしても、非常に気持ちのよいものだった。「温室にて」は熱帯の蒸し暑さではなく、運命的な悲哀として、今公演の心の曲となった。トーマス・ヴィルマン アーベントツァイトゥング

藤村実穂子が登場し彼女の暖かなメゾ声が、オーケストラとすばらしく混合した。ロベルト・ブラウンミュラー TZ

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2006/2007年
8月
バイロイト音楽祭 

2006年:
全てにおいて抜き出ていた歌手の為に、少なくとも10分は時間を取って話したいところだ。藤村実穂子のワルトラウテの「世界救出」の声は、傑出したテキストの扱いだけでなく、美しい響きでありながらなおかつ表現力あふれ、フレキシブルで、(この様な歌手は)ここ20年間のワーグナー界に存在しなかった。聴衆から一番の拍手をもらった。ヴォルフ・ディーター・ペーター / ドイツ・クルトゥア・ベルリン「ファツィット」、バイエルン4クラシック「アレグロ」

中でも抜きん出ていたのは藤村実穂子のエルダだった。低くしかもドラマティックな女声が、完璧な美として聞けるのは本当にまれである。これに加えフジムラの舞台上での存在、声のオーソリティをもって、全シーンはエルダにくぎ付けになってしまった。魔法のような瞬間だ。「全知(のエルダ)」がこのように響き渡るのを聴けることは、なんという喜びであろうか。ローマン・コッホル / ノルトバイエリッシャークリエ

藤村実穂子のエルダは力強い暗さで、人々の心を狂わせた。ユリア・スピノーラ フランクフルター・アルゲマイネ

藤村実穂子の素晴らしく満たされた、ベルベットのような完璧なアルト(声)には、(「神々」の前の「ラインの黄金」、「ジークフリート」でも)驚かされたが、(今回の神々でも)ずば抜けていた。…全「指環」を通して歌手として、藤村実穂子が勝っていた。ユリア・スピノーラ / フランクフルター・アルゲマイネ

「TZバラ賞」ミホコ・フジムラ 藤村実穂子のワルトラウテは大きく、角の無い、若さにあふれたアルト声に加え、人々の心を声と演技とで、どんどん緊張させる才能まである。秀越の出来であった。ベアーテ・カイザー / TZ

藤村実穂子のエルダは素晴らしい音程で、しかも完璧であった。深く印象に残った。ヨアヒム・カイザー / ズュートドイチャー・ツァイトゥング

源の母としての短い登場にもかかわらず、大きなアウラで藤村実穂子は、完璧なエルダだった。シュテファン・マウラー/ NTV

暗く謎めいた表現豊かなアルトで藤村実穂子のエルダは光り輝き、まるで宇宙の彼方から来たようだった。ジャン・パウル・ベッテンンドルフ ルクセンブルガー・ヴォルト

一番の拍手喝さいを受けたのは秀逸の歌手、日本人の藤村実穂子のワルトラウテだった。彼女は全くもって聴衆のお気に入りである。オスナブルッカー・ナハリヒテン

ゆったりした藤村実穂子の低声は、今夕のハイライトだった。スザンネ・キューブラー / ターゲス・アンツァイガー

歌手の中で最も賞賛されたのは藤村実穂子の「暗い声」のエルダ(アンソニー・トマシーニNYタイムス)と、「強烈」(AP通信)で「電激的」(FT通信)なワルトラウテだった。ヴィヴィエン・シュヴァイツァー / Playbillarts

2007年:
素晴らしいエルダ、藤村実穂子の声は、低音が響く、美しく、そして「止むことの無い悲しみ」そのものだった。ルドルフ・イェッケレ/ フランクフルター・ノイエ・プレッセ

ヴォータンとミホコ・フジムラのエルダはドラマティックな会話シーン、フジムラの声は力強い低音、暗いアルト色だった。ジョーン・ポール・ベッテンドルフ / ルクセンブルガー・ヴォルト

藤村実穂子によってエルダの心配は聴衆に届いた。彼女のワルトラウテは、最高の激しさと内からの深みで、公演中の最高の「解釈」となった。ブルーノ・ノイマン / オバープファルツネッツ 

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2005年11月
マーラー「リュッケルトの詩による歌曲」

日本のメゾ、ミホコ・フジムラは満ちた低音と、充実したP、完璧なテクニックで声を制してしまった。彼女の演奏は強弱の分け方、明晰なフレーズの作りと明確なドイツ語の発音に徹した。エルンスト・ナレディ・ライナー / クライネ・ツァイトゥング

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2005年10月
パリシャトレー劇場

「ミホコフジムラの声と演技力、両方の美しさがこのワルキューレを圧倒的に支配する(記事見出し) このプロダクションのヒロインはミホコ・フジムラだった。彼女の維持する線の演技の美しさ、彼女の線を維持する声の美しさ、家庭の女神である彼女のフリッカは、ワーグナーが表現したかったであろう、まるでリートの様な彼女のフレーズのつくり方は、耳に残るほど天才的だ。彼女こそ騒乱と多くの感嘆の的となる、真のグランダームである。マリー・オード・ルー / ル・モンド

話が出来ない程の悲しい娘、ワルトラウテの熱愛と白熱を歌ったミホコフジムラへの熱狂感嘆合戦が、再開した。ル・モンド

キャストには全て暖かい拍手が聴衆から送られたが、フランスの各新聞の批評は、ミスキャストと、厳しいものが殆どだった。これに対して、フリッカを演じたミホコ・フジムラにはその声の美しさと舞台での存在感で、数限りない手放しの褒め言葉が送られた。ニューヨーク・タイムズ 

普通ヴォータンの口喧しい妻がヒロインとなる事はバッドニュースである。しかしミホコ・フジムラはステージを自分のものとしてしまった。それは彼女の声が輝かしいとか、彼女の発音が緻密であるというだけではない、彼女の静かな姿勢が、喧騒で一杯の毎日の生活から ウィルソン演出の歌舞伎演出に引き入れたという、だけではなかった。 アレックス・ロス / ニューヨーカー・マガジン

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2005年4月
ロイヤル・オペラ・ロンドン ワルトラウテ「神々の黄昏」 

カーテンコールの最大の拍手で、聴衆の厳しい審判に打ち勝ったのは、日本のメゾ、藤村実穂子ワルトラウテだったと、初日客は明確に認識した。これは藤村のハウスデビューで、1幕のほんの短い登場だけという条件にも拘らず、彼女のベルベットのような音色、テクニック、見事としか言いようのない発音法、テキストの理解と表現力で、ステージを完全に自分のものと支配してしまったからである。マイケル・ケネディ / 「オペラ」誌

この夜断然に最高の歌を聞かせたのは、美しく行き来する演技と暖かい音色で歌ったROHデビューの藤村実穂子だった。ディビッド・メラー / ザ・メール・オン・サンデー

本当に傑出したパフォーマンスは、ワルキューレの終淘に打ちのめされた「狂乱」からプリンセス「戦士」に急進的に変身した演技を見せたワルトラウテ役、日本のメゾソプラノの藤村実穂子だった。このブリュンヒルデの姉妹から「神々の黄昏」の奇跡が明確に生まれたと言う以外に言い様がない。ヒュー・カニング サンデイタイムズ

藤村実穂子は一見小さいが、感動的なワルトラウテを歌った。彼女の緊急のメッセージが、今公演を彼女のリサイタル以上にしてしまった。これまでの指環はこれまで非常に盛り上がってきたが、この最終夜では彼女のリサイタルにしてしまった。 ミヒャエル・タナー / ザ・スペクテイター



観客の心を奪ってしまったのは、少なからずセンセーショナルなワルトラウテ、藤村実穂子のシーンによっている。ジ・インディペンデント

細い体から出る顕著なヴォリュームでブリュンヒルデに主張する藤村実穂子の手本の様なワルトラウテは、全6時間の公演中最も効果的なシーンだった。アンソニーホールデン オブザーバー

ブリュンヒルデへの驚くべき関わり合いを見せたのは藤村実穂子の、姉妹ワルトラウテとして、激しい苦悩をあらわに表現する豊かな声だった。驚がく的なデビューだ。プリチャード / シーン・アンド・ハード

ワルキューレとして、ブリュンヒルデの理解を呼び起こそうとする藤村実穂子のワルトラウテは、そのメゾソプラノの声区で、極上に磨かれたオーボエのような音色を生み出した。コベル / シドニー・モーニング・ヘラルド

藤村実穂子のパワフルなワルトラウテの声は、英雄的にオペラハウスに鳴り響いた。ブライアン・ヒック / ミュージカル・オピニオン

繊細さと重量を量ることが出来るメゾの藤村実穂子は崇高なワルトラウテを演じた。ジョン・アリソン / セブン

ワルトラウテのシーン(感動的な藤村実穂子)は音楽的奇跡となった。マルティン・コェール / ノルド・バイエリシァー・クリエ

藤村実穂子のワルトラウテは崇高さで人の心を動かした。フィオナ・マドックス / イブニング・スタンダード

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EMI-CD
EMI‐CD 「トリスタンとイゾルデ」

…EMI監督ペーター・オルウォードは、同社を引退する前に、同じく引退を前にしようとする歌手をトリスタンとし、卓越した指揮者とキャストで再度録音したいと思った。…オルウォードは常に目と耳でニューカマーを明白に感知することを、イゾルデの同伴者ブランゲーネで証明した。バイロイト音楽祭でのフリッカ及びワルトラウテとしてよく知られている藤村実穂子は、その美しい声だけでなく、テキストの要素を決して見逃さない。藤村の声は今まで録音されたどのブランゲーネの声よりも明るく、2幕の警告のアリアでこの様に容易に二人の恋人の上を漂う録音は、今まで決してなかった。これは若いアーティスト藤村の熟考し、修養を積んだ賜物と思われる。英

ブランゲーネが全体を通して魅惑的で、しかも暖かく焦点の合った声で歌われるのは稀有である。ジョン・アリソン / グラムォフォン

ミホコ・フジムラのブランゲーネにはライヴァルは居ない。仏・フィガロ誌

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2005年3月
パルシファル ウィーン国立歌劇場

藤村実穂子のクンドリーが最も偉大な瞬間は、パルシファルが世界炯眼となる「初めてのキス」の際に、震えるような緊張感がオーケストラピットからも感じとられた。ライナー・エルストナー / ウィーナーツァイトゥング

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2003年1月
ドイツ・オペラ・ベルリン「指環」

この演出を再び見ることが出来とこと同時に、歌手の面でもここに着て聴くことができ幸せだと思わされた。第一に挙げるのはフリッカ役の藤村実穂子だ。彼女からは全ての歌詞がわかる(本来ならば全ての歌手がそうあるべきなのであるが、残念ながらそうではない)。それだけではない、彼女は多くの声の色でヴォータンの妻を彼女固有の、決定的な特色で演じる能力がある。聴衆は力ずくで目的を達するフリッカでなく、夫の心理を精密な計算でからみ合わせるフリッカを体験することが出来た。力ずくでなく、頑強に、静かに、的をはずさず、ヴォータンを縛り上げた。ヤン・ブラッハマン / ベルリーナー・ツァイトゥング

何しろ素晴らしかったのは藤村実穂子だった。灼熱するような音色の声、歌詞が素晴らしくはっきり分る、偉大なるフリッカであった。クリスティーネ・レムケ・マトゥウェイ / ターゲス・シュピーゲル

藤村実穂子の決然としたフリッカは非常な印象を残した。彼女のエルダが楽しみである。ロレンツ・トメリウス / MOZ

藤村実穂子のフリッカ、エルダ、ワルトラウテは歌詞がはっきり分かり、人々に非常な印象を残した。ケルステン・リーセ / ベルリーナー・モルゲンポスト

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2002年7月
バイロイト音楽祭2002 デビュー

「藤村実穂子・スターの誕生」(記事見出し) 今スターが誕生した。藤村実穂子はワールドクラスの女神である。このメゾはフリッカという役を、どの単語も書き取れるほど分かりやすく、完璧にコントロール出来た、大きく響く声で歌い、最後のカーテンコールで最も多くの拍手を浴びた歌手となった。 アンドレアス・ギュンター / ヘッシッシェ-アルゲマイネ-カッセル

「公正性を武器に」(記事見出し) 指環初日二日の最大の発見は、敵を屈服させる颯爽さと力強い声、明晰に熟考し周囲を絶対的に圧倒する、藤村実穂子の演技であった。もともとフリッカに公正性を義務付けておきながら、救いがたい取り決めに自分自身巻き込まれたヴォ-タンに対して、彼女の公正性は武器として極めて効果的に全面利用された。夫婦の原則をめぐってのこの論争シーンは、身の毛もよだつ隔世遺伝の様な瞬間の連続にストリンドベルイ的な心理劇となり、場面としても音楽的にも公演の最高のクライマックスとなった。ゴットフリート・クナップ / ズュートドイチェツァイトゥング

「ワルトラウテのシーンがフリム演出の神々の黄昏の水準を標準以上に上げた」(記事見出し) 劇場での感動と魅力にとりこにされ、時と場を忘れるという魔法のような時間というものが、現代にまだあるのだ。キャスト表を見てうすうす予感はしていた。藤村実穂子という名前は、バイロイト音楽祭で高品質を保証するものである。しかしこの集中力たるや、驚きであった。土曜日の「神々の黄昏」1幕は、ドラマトゥルギー最高のクライマックスだった。ワルキューレの一人ワルトラウテが、「ジークフリートの愛の証」である「指環をラインの乙女たちに返せ」というワルトラウテのシーンは、普通は聴衆の感情にブレーキを掛けるものである。しかし藤村実穂子はそれが違うことを証明した。素晴らしく明確なドイツ語の藤村実穂子のワルトラウテは、感情は救済の最終手段を成功させる為に抑止し、冷静な理性で献じた。相違った二つの性格の間に交わされる論争が激しく衝突し、ワルトラウテにはもうブリュンヒルデの将来について言うことは何もないということを、藤村実穂子は声楽的にも印象的に転化した。ゴルディアン・ベック / ノルド・バイエリッシャー・クリエ 

2幕になって、明確にいえば藤村実穂子のフリッカの登場によって印象は変わった。ガラスのようにはっきりしたドイツ語、敏速に動くことの出来る彼女のメゾ声で、鋼鉄のように厳しいフリッカは、彼女の権力を再度得ることが出来た。 ゴルディアン・ベック / ノルド・バイエリッシャー・クリエ 

特別印象に残ったのは藤村実穂子が、過去の有名な女性歌手たちと戦わず、彼女独自の、しかも声の美しいフリッカとして舞台に立っていたことだった。フリードリッヒ・ポール / ドレスデン・ノイエステ・ナハリヒテン

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2002年6月
「ワルキューレ」 ミュンヘン国立歌劇場 2002

ここ数年で最高の厳格な女神フリッカの藤村実穂子。この新フリッカはヴォータンの権力ゲームを、厳格なる態度と実に魅力あるメゾの声で、緻密に計算された分岐点、彼女のシーンとしてしまった。ヴォルフ・ディーターペーター / バイエルンラジオ、ミッテルバイェリッシェ・ツァイトゥング

「スター賞」ミホコ・フジムラ 驚きであったのは藤村実穂子の濃厚で完璧な女神フリッカであった。彼女にはヴォータンも従うしかない。マリアンネ・ライシンガー /アーベントゥ・ツァイトゥング 

驚きは藤村実穂子のフリッカであった。彼女は夫婦とモラルの純粋な教えだけでなく、純粋な声楽芸術の教えまで務めた。ヴォルフガング・バーガー / ズュートクリエ

藤村実穂子のフリッカは結晶質の天才である。英・エグベルト・トル・ファイナンシャル・タイムス 

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2000年10月
ブランゲーネウィーン州立歌劇場

ミホコ・フジムラはウィーンで初めて歌ったが、長年経って新しく、新鮮で、素晴らしく響く声で二幕の「RUF」を歌った。フランツ・エンドラー / クリエー

ミホコ・フジムラがウィーンで初めて歌った。彼女は声PrAESENZ と、大きなフレーズを何事も無かったように楽々と歌った。ライナー・エルスター / ヴィィーナーツァイトゥング

声の艶と感覚に富み、なおかつ危ういところの全くないブランゲーネ、藤村実穂子のウィーン・デビューは、全聴衆を感動させた。彼女を再び聞けるのを唯々願うばかりである。ディミトリー・フィンカー

藤村実穂子は、実によく響く声だけでなく、表現のニュアンスというものを如何に声にうつしかえる事が出来るかということまでも示した。彼女に並ぶ歌手は、他に誰もいない。 W・シンコヴィッツ / ディ・プレッセ

藤村実穂子には神のような偉大さがある。役に欠かせぬ気高さを失うことなく、貫通力のある声でフリッカを歌い通した。 W・シンコヴィッツ / ディ・プレッセ

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2000年11月
ヴェルディ「レクイエム」ミュンヘン・フィルハーモニー

「スター賞」ミホコ・フジムラ 演奏中最も偉大なる時は、まさしくこの世のものとは思えないアルト、藤村実穂子が歌う時だった。高音にいっても低音にいっても完璧に響く彼女の声に、世界中の歌劇場が夢中になるのも無理はない。 M・ライシンガー / アーベント・ツァイトウング

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2000年10月
ロジーナ

声のレベルは藤村実穂子が支配してしまった。ワーグナー歌手として成功しているにもかかわらず、はっきりと焦点の合ったこのメゾの声は、恐ろしい程フレキシブルだった。エルンスト・ナレディ・ライナー / クライネ・ツァイトゥング 

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1999年11月
カルメン

「声の洗練さ 藤村実穂子が印象深い声でグラーツオペラでカルメン役デビュー」(記事見出し) 説得力のある演技、声、どちらをとっても藤村実穂子のカルメン解釈は、全くもって偉大である。日本人の彼女は明るい音色の精練された声と、洗練されたダイナミックな分化で歌い通す。最大の成果は二幕最初のアリアであった。どんな動きにも妨げられず、誤った低音を混ぜることがない。最終フィナーレでは、カルメンの「不屈の誇り」を壮麗に演じきった。 エルンスト・ナレディ・ライナー / クライネ・ツァイトゥング

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