photo: R&G Photography
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2017年11月
Mahler 3. Mehta,IPO,Carnegie Hall,NY
The soft pulses of strings that open the fourth movement could have used more warmth, though it was hard not to be won over by the reverent solemnity of Mihoko Fujimura’s singing in the lament, “O Mensch!” Her mezzo-soprano is just the right sort of instrument for this music, mellow and warm, neither scorching in her chest nor piercing at her top. …The IPO gave their best playing of the night here, hewing close to the spirit of the mezzo part as Fujimura sang with keen sorrow. New York Classical Review Nov 09, 2017 by Eric C. Simpson

Mihoko Fujimura’s impassioned singing of Nietzsche’s Zarathustra’s Rundgesang was the highlight of this movement, and perhaps of the entire symphony. Her clear, articulate, diction, carefully controlled vibrato, and meticulous attention to detail was nothing short of awe-inspiring. The fifth movement saw the introduction of the two choirs, singing cheerfully alongside Fujimura about the redemption of sin. BachTrack Vishnu Bachani, 10 November 2017


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2016年4月
細川俊夫「嘆き」2016年4月ハンブルグ
そこに藤村実穂子が絶望的な言葉を語り、非常に劇的に歌った。聴衆はショックに動揺せざるを得なかった。ハンブルガー・アーベントブラット、イリヤ・シュテファン


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2016年1月
„海、静かな海“ ハルコ 2016年1月
バイロイトのクンドリーのベテラン、藤村実穂子は、義姉ハルコを、渋みのある迫真の演技で描き出した。これは偉大なメゾソプラノにしかできない技だ。キーラー・ナハリヒテン、クリスティアン・ストレーク

ここでは本当にオペラの巨人が使われた、藤村実穂子はハルコを惚れ惚れするほどに歌った。オスナブリュッカー・ツァイトゥング、ラルフ・デュ―リング

歌手として一際強かったのはハルコ役、メゾの藤村実穂子だった。NDRクルトゥア、エリザベト・リヒター

バイロイトで経験豊富な藤村実穂子は、全てを知る、母で、橋渡し役の現代版エルダ像で注目を集めた。ディ・ヴェルト、マヌエル・ブルグ

響きに満ち、深遠な声を具備したメゾの藤村実穂子は、クラウディアの心を救おうとする義姉を演じた。また、事態や状態を口頭言語で話す、語り部としての役も演じた。オンライン・ムジーク・マガジン、ウルスラ・デッカー・べンニゲ

藤村実穂子は、原初の人間性を示す必要性をハルコとして、オペラのブランゲーネのような役割をもたらした。ファイナンシャル・タイムズ、シャーリー・アプソープ

バイロイトの古顔、ワーグナーのヒロイン藤村実穂子は亡夫の姉として、我々を確信させた。ヨルン・フロリアン・フックス、ドイチュランドラディオ・クルトゥア

「諦めなさい。新しく人生を始めなさい」と劇的に促す藤村実穂子だった。NMZ、ヴェレーナ・フィッシャー‐ツェルニン

メゾの藤村実穂子は打ち砕かれた二つの心の会話の中に融和して入った。ハンブルガー・アーベントブラット、ヨアヒム・ミシュケ


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2015年10月
“エレクトラ“  クリテムネストラ 2015年10月
藤村実穂子は、暖かく、エレガントに歌う美しく、耽美なクリテムネストラだった。 ハンブルガー・アーベントブラット

藤村実穂子は決して割れることのないメゾで高尚なクリテムネストラだった。ディ・ヴェルト

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2015年8月
タングルウッド音楽祭、アンドリス。ネルソンス指揮、マーラー交響曲第8番、2015年8月8日
ソリストは突風と大きな音を注いだ。メゾの藤村実穂子は細身にも拘らず、巨大で安定した声を流しだす。賭けてもいい、彼女はここで再度歌う。ザ・デイリー・ガゼット、レスリー・キャンデル

象牙色のメゾ藤村実穂子は、アンサンブルの確固たる中心となり、第二部ではサマリアの女を穏やかな主張と気品で描き出した。ボストン・クラシカル・レヴュー、ディヴィト・ライト

藤村実穂子の豊かなメゾは魅力的で感情に訴え、感動的だった。バッハ・トラック, LAオプス、エリカ・マイナー

藤村実穂子は上品なサマリアの女だった。ミス・オペラジーク

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2015年5月
「パルジファル」アンドリス・ネルソンス指揮、バーミンガム、2015年5月17日
これは本当にまさしく「演奏会」形式だった。譜面台が歩哨のように立って歌手を目立たなくしたように、勿論演技もなかった。しかしその恐れは、1つの顕著な例外、藤村実穂子のクンドリーで吹き飛ばされた。譜面台が彼らの仕事をしたのか或いは全歌手は音楽だけが重要と、立って歌った。舞台上の全歌手のうち、彼女が最も心底から役を知っていた。バイロイトで名高いシュテファン・ヘアハイムのプロダクションで彼女が歌ったことは、偶然ではない。またフジムラには、見た目には容易であるかのように、ホール全体を充填する、彼女独特の能力がある。それは丸い預言的な特質を持つドラマティック・メゾで、聴衆に長いトンネルの終わりを暗示することである。非常によく照らされたコンサートホールという消毒的な状況で、歌う以上にもっと何かをしようと苦心するということは、よほど意味が無ければならない。しかしフジムラはそれを成し遂げた。彼女のバイロイトの経験を柱に、1幕では野性的な女性でなく、傲慢と恥の奴隷で失礼な大地主に「ここでは動物も神聖ではないの?」と歌った。彼女の救世主であるパルジファルとの2幕では彼女の想像力でなく、フリッツの限られた反応とウルフガング・バンクルのぼんやりと、ぶっきらぼうなクリングソールに限られてしまった。 「ジ・アーツ・デスク」ペーター・カントリル 

藤村実穂子のクンドリーは有名で、バイロイトそして世界の大舞台で演じてきた。全員と同じ様に楽譜を置いたが、彼女は使わなかった。彼女の声は柔らかく、同時にその鳴り響く高音のAsとBを武器として持っている。2幕終わりの荒々しく作曲された、殆ど2オクターブの飛躍は、感激的だった。 「クラシカル ソース」アレクサンダー・キャンベル

もっと熱が上がるのは二幕、パルジファルが藤村実穂子の情熱的なクンドリーに出会わす時である。両歌手の声はホールのよい響きを喜ばせ、彼の「アンフォルタス!」では座席の背もたれに留めさせられ、彼女の「キリストとの出会い」の叙述では、そのもっと端に貼り付けされた。「ミュージックOMH」 キース・マクドネル

二幕の藤村実穂子のクンドリーには、即興というものが全くなかった。彼女の声の統制力、声のいっそうの美しさ、音楽の安定は、ウルフガング・バンクルの激しい大声のクリングソールと並ぶと、驚くほど効果的であると証明した。 「ザ・ガーディアン」アンドリュー・クレメンツ

藤村実穂子のクンドリーがキリストを笑ったがため永遠にののしられると我々に話すとき、彼女の「lachte」の叫びはホールを破り抜けた。…フリッツとフジムラは第1幕どちらかというと控えめだったが、第2幕の巨大な場面では二人とも双方とも素晴らしく歌った。フジムラの強力なメゾソプラノはZeppenfeldと同じなめらかさとコントロールだった。役が要求するよりも、はるかに大きな感情の範囲を網羅した。「バッハトラック」デイヴィット・カーリン

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2015年6月
細川俊夫 „嘆き“メゾソプラノとオーケストラのための , ケルン, 2015年6月5日
指揮者は響きを描く音楽を、簡潔にあからさまにもたらした。素晴らしいメゾ、藤村実穂子は、激しいオーケストラを、火の付いたシュプレヒゲザングと、表現力に満ちた声の演技で、やすやすとやってのけた。ケルナー・スタットアンツァイガー

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2013年8月
ルセルン音楽祭「森の鳩の歌」アバド指揮 2013年8/16,17

プログラムは シェーンベルグの「グレの歌」から間奏曲と森の鳩の歌へ、毒気のある音で飾られた。藤村実穂子は、重く暗く滔々とした中声部の美声で、ホールを一杯に満たした。ブランゲーネやクンドリなど多くのワーグナーを歌ったメゾは、「語ること」に対して豊かな情緒を持っている。ヴァルデマー1世の正妻が王の愛人トーヴェを殺し、鳩に変わってその死を伝える時、我々は彼女と共に震えるのである。藤村実穂子の声は、紫琥珀に覆われた熱い琴線のようである。彼女は表現の限界のぎりぎりまで行った。10分のドラマのために。ジュリオン・シュケス、レ・トンプ

藤村実穂子による「グレの歌」からの森の鳩の歌は、今晩のクライマックスだった。エレガントな声、ワーグナーのテクニックを活用できる。巨大なオーケストラを前にし、それが爆発的な音を出しても、絶対的な透明性を決して失わない。聴衆は感動で迎えた。シュテファノ・ヤチニ、イル・ジョルナーレ・デッラ・ムジカ

続いての森の鳩の歌は---これは表現に満ち、模範的な発音の藤村実穂子のお陰だが---その描写に誰一人として無感動ではいられなかった。アバドの長い人生で培った経験による制御によって、巨大なる装置は膨大な拡張へと操縦され、彼女もそれに寄与した。 ペーター・ハグマン、ノイエ・チューリッヒャー・ツァイトゥング

そこに他の息吹、アーノルド・シェーンベルグの悲劇的な境遇、「グレの歌」間奏曲と森の鳩の歌がきた。メゾの藤村実穂子は嘆きの歌を、甘美に暗い鋭敏なメロディックで、勇敢に劇的表現を緻密に、表現豊かに形成した。ヘルベルト・ビュッティカー、デア・ランドボーテ

シェーンベルグの「グレの歌」から、空前の藤村実穂子が森の鳩として歌った。フロリアン・フックス、ドイチュランド・フンク

藤村実穂子の「森の鳩の歌」は、曇りのない真っ直ぐな声と距離をおいた叙述音で、理想の解釈アプローチだった。フレデリック・ハンセン、ドイチュランドラジオ・クルトゥア

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2013年7月
2013年7月27日 BBCプロムス 「トリスタンとイゾルデ」

今回の「トリスタンとイゾルデ」では、ひときわ目立ち絶対的に説得力のある演奏をした藤村実穂子によって、決して忘れられないものとなった。彼女のブランゲーネはイゾルデよりも絶対的に印象に残る演奏で、その明るく温かく、深くて豊かなメゾは、他に無いものだった。情熱的で、声は常に安定し、音楽的にも考えられた演奏だった。彼女の1幕の驚愕は具体化され、2幕の夜の歌は魅了的というほかない。最終幕の短い歌でさえ素晴らしく歌い上げられた。彼女がこの晩最大の拍手と歓呼を受けたことは、驚くことではない。なぜ英国でこのメゾソプラノをもっと聴けないのだろう?聴衆は美しい声と忘れがたい藤村実穂子のブランゲーネを享楽出来たというのに。LietoFineLondon

ブランゲーネだけは例外だった。藤村実穂子は衝撃的なブランゲーネだった。第二幕の夜の歌は、光輝に満ちた純粋性で、最終幕最後の「SIE wacht! SIE lebt!」で彼女の声が発した時は、天に昇る心地だった。マーク・ロマン

藤村実穂子はブランゲーネとして凌駕した。彼女の真の正則性によるフレージングは音楽的満悦を与え、彼女の役の正直な演技は歌劇上の真実性を得ることが出来た。彼女の第二幕は輝かしく響き渡り、非常に遠いホールのパイプオルガンの所から歌われているのに、気持ちよい柔らかな微風にのって聞こえるかのようだった。 オペラ・トゥデイ

藤村実穂子のブランゲーネは華々しかった。彼女は素晴らしく豊かで響き渡り、完璧に混成された声部のメゾを聞かせてくれた。彼女の舞台上の演技は迫力があり、彼女の発音は、非常に大きなオーケストラに敵対して歌わなければならない箇所においても、飛びぬけてはっきりしていた。ロバート・ビーッティシーンアンドハード

藤村実穂子はオーケストラの後ろパイプオルガンの高座から、許されない二人へ忠告の歌を歌った。彼女の豊かで苦も無く出てくる声量は、大きな声は大きな体を決して必要としないことを、小さな日本人のメゾとして証明した。ジェニー・ビーストン・ワッツ・オン・ステージ

藤村実穂子のブランゲーネは卓越したブランゲーネで、はっきりと聴衆のお気に入りとなった。彼女の警告の歌は悲しみに満ち甘美で、その高音は空気のようにホール中に漂った。これと同時に迫真の「警告」はオルガンの高座からオーケストラを越え、彼女のラインが伝える殆どピアニッシモの手触りは、巧みなタッチでオーケストラの下で最高の効力を発揮した。ジョン・デ・ウォルト、オペラ・ブリタニア

主役ではない方が深い感銘を与えた---強烈で惚れ惚れするような藤村実穂子のブランゲーネ、1幕では鋭敏に、2幕の畏敬すべき「警告」ではオルガン高座から、その長いラインがまるで天使のように下まで流れてきた。ペーター・リード、クラシカル・ソース

聴衆の一番大きな拍手は(正しくも)藤村実穂子のブランゲーネに送られた。リチャード・フェアマン、ファイナンシャルタイムス

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2013年2月
マーラー交響曲第2番ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 2013年2月

ベテランのメゾ藤村実穂子はソプラノの横にひっそりと寄り添っていた。2008年にウィーンとバイロイトでのクンドリの歌唱と演技は、真に傑出していた。まさしくその歌唱---「原の光」と「復活」の最終楽章---は美しく、力で持っていかず、自然に、しかも莫大な存在感で、直接的な感動を覚えた。
シーンアンドハードインターナショナル、ジェンス・F.・ローアソン

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2013年1月
マーラー交響曲第3番NDR放送フィルハーモニー管弦楽団ハンブルグ 2013年1月

そしてメゾソプラノの藤村実穂子は「おお人間よ!気を付けよ!」で、一直線に天国に続くアーチを張った。
ディ・ヴェルト

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2012年11月
2012年11月、横浜フィリアホール・インタビュー「フィリア通信」
www.philiahall.com/j/interview/121117/index.shtml

2002年ミュンヘン・オペラ祭、バイロイト音楽祭の同時出演で一躍世界の注目をあびて以降、 ヨーロッパの歌劇場の最前線で活躍を続けるトップスター。いわば逆輸入の形で日本でも存在感を知らしめてきた真の実力派がいよいよフィリアホールに初登場 します。凛として芸術を追求する姿勢の秘訣をメールインタビューにて伺いました。

――シューベルト、マーラー、ヴォルフ、シュトラウスと、ドイツ・リートの真髄を聴けるプログラムです。聴きどころ、想いをお聞かせいただけますか。

2011年3月11日から私の中で何かが大きく変化しました。今回のプログラムは東日本大震災で亡くなった方々に捧げています。プログラムを組むのに毎回1年かけていますので、全てが聴きどころです。当日耳と心で感じ取ってください。それが音楽ではないでしょうか?

――朝4時から夕方4時まで音楽の練習や研究、その後夜10時まで事務仕事。食生活も節制なさっているとか。どの職業でも一流になればなるほど、求めるものは果てしなく高くなっていくのかと思いますが、藤村さんの“歌い手”としての理想像はどういったものでしょうか。

私 には節制しているという意識は全く無いんです。体が楽器なので体の声に耳を傾けるようにし、よくない物を排除しているだけです。コーヒー、白い小麦粉、 肉、砂糖、甘い物、スナック、お酒は睡眠用に梅酒をお猪口に半分以外は避け、スペルト小麦の全糧粉やフレーク、緑茶やハーブティーなどに代えています。神 様は私に声をプレゼントしてくれました。私にはこの贈り物にお礼をしなくてはいけない義務があります。私にとってこのお礼という行為はイコール生きるとい うことなんです。曲をただ暗譜して人様の前で歌うという行為は発表会です。器用な人ならきっと数週間ほどで発表会の用意ができるでしょう。ただ私の名前の 載ったコンサートに来てくださる方は、その時間に何かを感じることに賭けて投資してくださっているのです。そうでなければ音楽技術の整った現代、CDや DVDがあふれる中わざわざ足を運ばなくても、家で好きな歌手の録音を聞いていればいいわけですから。だから私は足を運んでくださる方々に対して発表会で はなく、演奏会にするのが礼儀だと思うのです。

私が早朝から夕方まで行っていることは、天才たちが書き残してくれた曲を、作曲家が感じたり頭や耳で聞いていたものに、より近くすることです。舞台に立って歌っているとき、作曲家の描いた世界に自分がいられる状態にするために時間を掛けているのです。そして舞 台での一番の楽しみは、偶然そこに居合わせた知らない人々と、その世界を「共有」すること。皆さんと一緒に時間を共有できる形になるまでに、私の場合1年 くらいかかります。他の演奏スケジュールや曲の勉強もこなさなければならないので、1日の時間割がおっしゃるような形でないと、自分で満足のいく演奏がで きないのです。私はきっと非常に不器用なんでしょうね(笑)。でも、この時間割を日曜休日なしで60日連続で送っていたら、61日目にウィルスで唇が腫 れてしまって。たまには休まないと、演奏会自体があやうくなるということもあるようです。でも勉強後、毎日1時間くらいジョギングをしていますから、大丈夫 ですよ。

――歌をはじめた原点は何でしょうか。また、プロになろうと決めたのはいつごろでしょうか。

小さい時から歌が好きで好きで、家から小学校まで徒歩で片道40分かかったので、下校時は一人でずっと作詞作曲して帰りました。日曜は学校がないのが嬉しくて、朝5時に起きて庭に犬3匹をお座りさせて、1時間くらいずっと歌っていました。犬はもちろんあちこちに散らばりましたが、めげずに(笑)。自分では小さい声で歌っていたつもりでしたが、家族にはしっかり聞こえていたみたいで申し訳なかったと思っています。子供にとって当時歌手と言えば歌謡曲の歌手で、生まれた時から肥満児だった私には無理だと思っていたのですが、小5からなぜか声楽の個人レッスンに行くことになったり、なんとなく芸大に合格してしまったり、ハンス・ホッター先生に出会ったり…。こんな私だから危なっかしいと、「ほらこっち、こっち」と誰かがナヴィゲーションをしているのではないかと思います。アリアドネ*の赤い糸が引っ張ってくれた、そんな気がします。本当にありがたいことです。

*ギリシャ神話のクレータ王ミーノースの娘。テーセウスが迷宮から無事脱出できるように道案内の糸玉を与えて彼を助けた。

――音楽家の卵たちに、藤村さんから何かひとつアドバイスをいただけるとしたら、どんなことでしょうか。

それはずばり、「これひとつであなたも歌手になれる」といった、「ひとつ」はないということを知ることです。

――音の並びや融合がさまざまな感興を呼び起こす音楽。仕組みはよく分かりませんが、誰もが身ひとつで歌える“歌”は古くから人間の生活の中にあり、人々を魅了し、慰め、奮い立たせてきました。いまの藤村さんが考える“歌の力”あるいは“音楽の力”とは何でしょうか。

音 というのは、鳴っている瞬間だけをとれば、ただひとつの音でしかない、だけど次の瞬間違う音が鳴り、次の瞬間また違う音が鳴る…というのが繰り返される と、人間のある感情が生まれてくる。時には体にまで作用してくる。本当に不思議ですね。私にはその感情の生まれてくる仕組みを説明することはできま せんし、作家や詩人でもないので、うまく表現することもできません。ひとつだけいえることは、音楽は人間の「元」を呼び覚ますことができるということで す。心から尊敬していた河合隼雄*先生とお話していると「それは、何か絶対的に人類に通用する“X”ですか」と言われて、「ああ、 理解してくださる方がいらっしゃるんだ!」と感激し、思わず「そうですっ」と大声で言ってしまいました。それが音楽であろうと、絵画、本であろうと、 “X”は国境を越え、人々に伝わるんですね。そんな楽器を与えてくださった神様に何度ありがとうと言えばいいんでしょう。

*1928-2007。ユング派心理学の第一人者。臨床心理学者。文化功労者。元文化庁長官。日本の社会や精神構造について深い洞察を重ねた。著書多数。

――気分転換のリラックス方法は何かありますか。

私の頭には24時間音楽や歌が鳴り続けているので、転換は無理なようですが、風に揺れる葉っぱをぼーっと見ていると、ほっこりします。雲や星、月を見るのも好きですが、時間がないのと、客演先は大都市のためにそれがなかなか困難で残念に思っています。

――今までに訪れた国や場所で、とくに印象深かったところはありますか。

都市から都市へと移動してたくさん観光できるうらやましい職業と勘違いしていらっしゃる方がよくいますが、歌手であることは「身体の奴隷」で、残念ながら空港、ホテル、オペラハウスしか知りません。ごめんなさい。

――コンサートツアー中にかばんに必ず携帯する、かかせないものは何でしょうか。

のど飴5、6種類。

――魚、野菜、果物中心の食生活と伺っております。とくにお好きな食べ物は何でしょうか。

家に帰ったときにだけ食べられる自家製パンと、サラダです。

――今までの人生で一番感動した体験は何でしょうか。

河合隼雄さんにお会いできたことです。

――影響を受けた本、映画、美術がありましたら、教えてください。

本:村上春樹さん、ドストエフスキー、および河合隼雄さんの全著書。
映画:沢山ありますが、ひとつだけ挙げるなら「天井桟敷の人々」。
絵画:ミレー、モネ、クレー

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2012年10月
2012年10月、ヴェーゼンドンクによる歌曲・ハイティンク・ベルリン・フィル

世界中で成功を収めている日本人のワーグナー・ヒロイン藤村実穂子は、愛に絶望する恋というよりは、エルダの様な厳しい抑揚で歌った。 鮮やかなメゾの主導と、叙情の中にも確信した放射力で、非常に詩的で説得力にあふれた解釈に成功した。ワーグナー・イヤーのドイツの首都で、このような密接で私的な視角からワーグナー作品に光を当てた演奏を見つけることは、これ以外ほとんど稀有である。
ニュルンベルガー・ツァイトゥング、トマス・ハイノルド

藤村実穂子が、如何に響きの波を乗りこなしたかは、小さな奇跡だった。 彼女の白い泡のような高音は、ベルリンフィルンの銀のタッチに浸透し結合する。この小さな歌手が、このような大きなオーケストラの響きを背に、いかにリートのような入魂を作り出すことに成功できるのか、それは感動的だ。
ウド・バーデルト、デア・ターゲスシュピーゲル

ハイティンクは声の大きい、バイロイトで百戦錬磨の日本のメゾ藤村実穂子にしようと決心した。彼女は音符から、痛みを誘導する歌唱と、感動的な小悲劇をを形作った。
クラウス・ガイテル、ベルリナー・モルゲン・ポスト

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2012年10月
2012年10月、ワルトラウテ「神々の黄昏」・ロイヤルオペラ・ロンドン

しかしこのプロダクションには素晴らしい時がある、藤村実穂子のワルトラウテ…
マイケル・チャーチ、ジ・インディペンデント

藤村実穂子は非常に響くワルトラウテを歌った。 
デイビット・メローァ、デイリーメール

一人挙げるならば、藤村実穂子の情熱的なワルトラウテだ。
ルペルト・クリスティアンセン、テレグラフ

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2012年9月
しらかわホール音楽情報誌 "ムジかる" 2012年秋号vol.29  www.shirakawa-hall.com/musicul.html

――久しぶりにリサイタルを聞かせていただけるので、大変楽しみにしています。今回のプログラムはシューベルト、マーラー、ヴォルフ、R.シュトラウスです。

2011年3月11日から私の中で何かが大きく変化しました。今回のプログラムは東日本大震災で亡くなった方々に 捧げています。


――声の状態を常に最高の状態に保つために、御自分に厳しい節制を課していると伺いました。どのような生活をなさっているのですか?

私は節制している意識は全くなく、自分の体によくない物を排除しているだけです。理由と共に挙げていくと、コーヒーは私の心臓に悪く眠れないから避け、白い小麦粉は栄養が全く無いだけでなく大腸に最高30日まで留まるから避け全粒粉にし、お酒は睡眠用に梅酒をお猪口に半分以外は避け、肉、砂糖、甘い物、スナックは思考が滞るので避けています。

新役の際は朝4時に起きて夕方4時まで勉強し、その後1時間ジョギング、夜の10時まで事務仕事をし、休日は無しです。「都市から都市へと移動して、沢山観光できるうらやましい職業」と勘違いしていらっしゃる方がよくいますが、歌手であることは「からだの奴隷」で、残念ながら空港、ホテル、オペラハウスしか知りません。でも大丈夫、3食ちゃんと頂いていますから(笑)。


――そしてまた、完璧なドイツ語で歌う為にどう工夫されていらっしゃるのですか? 外国人という事でこれまで壁にぶつかったことはありませんでしたか?

壁にぶつかるというのは自分のおごりにぶつかるということ、自身の思い上がりに衝突するということです。気付いたら直していけばいい、ただそれだけのことです。無限に広がる宇宙の中で私という存在は、きっとほこりより小さい。人間という存在が出来て700万年といわれる中、一人の人間が85年生きたとしてもそれはチリの様な時間。だからこそ「生まれた」という奇跡を生かして、何か学んで死にたいと。はじめから「ああ自分は何にも知らない、何も出来無い存在だ」ということを受け止めなければ、いったい人生の中で何を学べるというのでしょう? 「自分はこのままではいけない」と思えば、特に何かのコースに行って勉強をするとか、運動したりしますが、「自分はこのままでいいや」と思えば何もしませんよね。欧米人の同僚によく訊かれます。「実穂子が舞台で歌うとテキストが分かるんだ。一体何故なんだろう」と。当然です、テキストを何回も繰り返し読めばいいんです。たとえ言葉が違っても欧米人はアルファベットで育っているからなめてかかっているんです。我々アジア人が、欧米人を欧米で演じなければならない時、欧米人と同じレベルでは採ってもらえないから、その分テキストを読んだり、解釈、租借を繰り返すのです。

人は少しでもよくなる為に生まれてきたと、生きるという事は一生勉強するという事と思っています。


――ドイツのオペラや歌曲において、その中に自分が移入しやすいところ、また外国人にとって中々入り組みにくいところは、どんな点でしょうか?

私にとって「自分」が「移入」するというのは、決してしてはいけない行為です。天才であった作曲家が表現したいことを「伝える」のが歌手の役割です。だから「自分」は舞台に出る前に、作曲家が一体何を言いたいのかを、徹底的に追求します。しかし舞台に上がった時には、作曲家の描いた世界にいます。そこでの一番の楽しみは、偶然そこに居合わせた知らない人々と、その世界を「共有」することです。最近はオーディオ化、ビジュアル化が進んで、音楽が手軽に楽しめます。それと同時に舞台に立つ人間までがお手軽になって、残念でなりません。そういう事は私には出来ないので、死んだ時に後悔したくない様に自分の歌を歌わせてもらってます。それを聴きに来て下さる方々がこの世に存在するという事が、いまだに信じられない!本当にありがたいことです。

文化を国単位で考える時代は終わったと思っています。追求している時間を私は勉強の時間と呼んでいるのですが、「自分は日本人だから」とか「作曲家がドイツ人だから」という事は一切考えません。その際作曲家の生きていた時代の思想やシステムを考慮に入れることはあっても、全て人間レベルで追求します。私が心から尊敬していた河合隼雄先生と対談させて頂いた際にその事をお話していると「それは、何か根本的に絶対人類に通用するXですか」と言われて、「ああ、理解してくださる方がいらっしゃるんだ!」と感激しました。23年前から大好きな村上春樹さんのファンが世界中に沢山いるということは、「真理には国境が無い」事の証明ではないでしょうか。

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2011年11月
2011年11月23,24日、ヴィーン、ヴェルディ「レクイエム」

ワーグナー圏からのメゾ・藤村実穂子は 細くともがっしりとした力で高音を歌った。ゲアハルト・クラーマー、ヴィーナー・ツァイトゥング

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2011年11月
2011年11月20日、ライプツィヒ、ヴェルディ「レクイエム」

満たされ、暖かに、円かに、かつ威圧的に、メゾの藤村実穂子は「Lieber scriptus profetetur」でホールを持ち上げた。
ライプツィガー・フォルクス・ツァイトゥング

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2011年11月
2011年11月18日、ドレスデン、ヴェルディ「レクイエム」 

藤村実穂子は必ずしも易しいとは言えないこのメゾ・パートを暗い音色で、非常に安定した力強い声で全ての高音、
低音を確然と誘導し、神の審判を劇的に恐れる念と救世への望みの間を測深した。
イングリッド・ゲルク、デア・ノイエ・メルクア

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2011年10月
2011年10月DVDシェーンベルグ・グレの歌・マリス・ヤンソンス指揮・バイエルン放送交響楽団

ほとんどの聞き手には音楽的、オラトリオ全体のドラマ的最高点は「森の鳩の歌」である。ここでは藤村実穂子によって素晴らしく歌われている。このシーンではヴァルデマーの嫉妬深き女王の手によるトーヴェの死に出会った森の鳩が、トーヴェの葬式を描写する。藤村はこの音楽を驚愕するほどの譴責と憐憫の併有で歌いだしている。
アルロ・マッキノン・オペラニュース・2011年7月

この最高にバランスのよい閲読の核は、あなたが聞きたいと望んだメゾ藤村実穂子のアカウントによる、非常に情熱的でドラマチックな「森の鳩の歌」である。 アーノルド・ウィットオール・グラムフォン2011年7月

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2011年7月
2011年 7月CDマーラー交響曲第3番・ジョナサン・ノット指揮・バンベルグ交響楽団

ゆっくりとした各楽章は内面が灼熱する。ニーチェの真夜中の歌は、簡潔に言って今までで最高の解釈をした一人藤村実穂子によって味わう事ができる。 シュベービッシェ・ツァイトゥング2011年6月18日

ニーチェの節付けの音の幽愁に沈むのは、屈指のソリスト藤村実穂子だった。デア・ラインプファルツ2010年5月

藤村実穂子の暖かいメゾの声は、深く感じ取った表現で存在の元の原因に潜った (おお人間よ気を付けよ)。クラシック.コム2010年5月

ニーチェの筆によるツァラストラの夜の逍遥の歌はメゾの藤村実穂子によって引き揚げられた。最高に力強い低音、はっきりとした音程で 「その痛みは深い」は主張された。BNN2010年5月

藤村実穂子の声はミステリアスなのに若々しく新鮮だ。BBCミュージックマガジン2011年10月15日

素晴らしく接地した藤村実穂子。 ロンド2011年9月

哀調を帯びた藤村実穂子は焦点がピタリと合って如才がない。グラムフォン2011年10月15日

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2010年7月
フリッカ バイロイト

「ラインの黄金」については、新キャストになった事を喜ぶしかない。何を置いても一番の収穫は歌手としても、また演技も飛び抜けていたフリッカの藤村実穂子だ。この「指環」で既にワルトラウテとエルダで聞かせた日本のメゾは、ついに大きなスケールを持った神々の妻だ。歌手としてデリケートで表現力に満ち、結婚と誓いを守る絶対的な女神の役にふさわしい尊厳を持った姿を示した。
モニカ・ベーア、フレンキッシャー・ターク

フリッカの藤村実穂子の声は心地よく目立ち、エネルギッシュであった。、ノルド・バイエリシャークリエ

ブリュンヒルデは颯爽とした藤村実穂子に破れてしまった。マルクス・ティール、ミュンヒナー・メルクア

喝采を浴びたのは藤村実穂子のフリッカだった。ズュートドイチェ・ツァイトゥング 

フリッカの藤村実穂子だけが純然と説得させた。イン・フランケン2010年7月

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2010年6月
マーラー交響曲第3番 フィラデルフィア

歌の入る楽章は、2006年のヨーロッパツアー中にマティアス・ゲルネの代役を務めた藤村実穂子の歌唱により、 大変にうるおった。藤村のおびただしい芸術的成長は、フリードリッヒ・ニーチェの言葉の投射影に、最もはっきりと現れた。
デイビット・パトリック・ステアーンス、フィラデルフィア・インクワイアー、2010年6月12日

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2010年5月
マーラー交響曲第3番 2010年5月28日

「おお人間よ、気をつけよ」を藤村実穂子は暖かいメゾの声で、存在の根源原因を低く感じ取った表現で歌った。

エゴン・ベッォルド クラシックコム

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2009年10月
「グレの歌」 2009年10月22日

ソリストは、まず第一に抜きん出ていた藤村実穂子、この作品のドラマをこれ以上に捕らえるのは無理というキャスティングであった。
ディ・プレッセ dob

藤村実穂子は彼女の森の鳩のシーンを、作品の中心としてしまった。ロベルト・ブラウンミュラー

藤村実穂子はトーヴェの死のバラードを、水晶の様な精密さで歌った。ズュート・ドイチェ・ツァイトゥング エゴベルト・トル

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2009年2月
東京新聞2009年2月26日掲載

東京芸大大学院を修了し、故ハンス・ホッターのもとで大好きなドイツリートを学ぶため、ミュンヘンに一九九二年留学した。オペラ歌手として有名にならなければ、日本人のリートの夕べには誰も来ないよ、と多くの人に言われ、一九九五年にグラーツ歌劇場(オーストリア)の専属歌手になった。その後は本当に人種差別との戦いだった。

オペラハウスまでの一日二回往復の電車に乗って降りるまで、私のことをまるでごみであるかの様に見る人は一人や、二人ではない。クリーニング、靴の修理、あらゆるところで料金は二倍三倍にふっかけられ、おつりも少なく返ってくる。スーパーでは会計の女性がレジを待っている私を見ながら知り合いと二十分もしゃべり、結局ふてくされてレジを打ち、お金を払うと、おつりを床に投げつけた。まるで貧者に恵むお金のように。私は黙って床にひざまずいておつりを拾い集めた。

こんな経験を一日何度も繰り返す日々が毎日続くと、いつか自然に自分に問いただす。「ヨーロッパ文化の粋」といわれるオペラを、アジア人の私が、何故こんな思いをしてまで歌わなければならないのか。いったい自分は何のために生まれてきたのか」と。自分が欧米人として、少なくともハーフで、何とか欧米人の外見を持って生まれていれば、オペラの世界でこんなに苦労はしなくてもよかったはずだ。欧米人歌手とアジア人である私が同じレベルにいれば、決して誰も私を使わない。だから欧米人の10倍も、それで足りなければ100倍も努力しなければならない。神様はなぜ私をアジア人として生まれさせ、オペラという異文化の世界に送り、こんなに沢山の苦労を他の誰でも無く、私にさせたがるのだろう。

問い続けていると、いつかこんな答えが出た。神様はきっと私に学ばせたかったのだ。差別されることによって、人の痛みというものを知り、日本に住んでいれば分からなかったであろう広い世界を見、今まで知らなかった文化の人と知り合い、一緒に働くことによって、物事を違う面から見ることが出来るよう学びなさい。理論でなく、脳みそでなく、紙の上の論でなく、体をもって経験しなければ魂の学びではない、と。

そう思うと私は幸せ者だ。これでもか、これでもかというほどの困難がある。四年前から他の仕事を断り続けて空けていた三ヶ月のプロジェクトを、私が日本人だからという理由で、降ろされたりもした。ヨーロッパのどの都市に行っても、ホテルと空港とオペラハウスしか知らない。美しい有名な街にいても、風邪を引けないので観光名所にも美術館にも中々行けない。アジア人と音楽をすることに拒否感のある人や、人をいじめて自分は偉くなった気になる人と、その日それなりの問題が起き、苦労し、つらい思いをする。

しかし何があっても「これも学び」と思えば、感情的にならずに、ふっとわれに返ることができる。歌手であるということは、既にある楽譜を取り、自分の解釈で、自分という媒体を使って人に伝えるという作業である。つまり芸術とはその人そのもの、それ以外の何物でもない。音楽の神に仕えさせて頂ける媒体の私にとって、痛みは肥やしである。 大好きなリートの勉強のために行ったヨーロッパで色々な経験をし、やっと今、大好きなドイツ歌曲の夕べが開けるようになった。沢山あるリートの中から今回のプログラムを選ぶのに、一年掛けてしまった。今からわくわくし、楽しみで仕様がない。

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2009年2月
所沢ミューズ機関紙 2009年2月掲載

Q:東京芸大、ミュンヘン音楽大学で勉強なさり、1995年ヨーロッパデビューされて以来、世界のあらゆる大舞台で引っ張りだこでいらっしゃるわけですが、この十数年を振り返っていかがでしたでしょうか。大切にしていらっしゃる「経験」や「教え」のようなものがあれば教えてください。

欧米人が日本の歌舞伎座に出演するところを想像してみて下さい。その逆、ヨーロッパ芸術の集合芸術といわれるオペラに、アジア人が、しかも日本人の「蝶々さん」ではなく、「欧米人」として舞台に立ち、表現しようというのです。14年たった現在も私は「人種差別」との戦いです。「痛み」が供わないわけがない。アジア人の私がコケれば、「待ってました!」とばかりに、代わりの欧米人はいくらでもいます。欧米人と日本人が同じ「レベル」にいれば、歌劇場は欧米人を採用するに決まっています。では「1メートル」「1秒」といった物差しのない音楽界において「レベル」とは何か。 うたうということは、その人そのものと思っています。肌の色によって苦労しているものは、少なからず私の実になり、音楽にも自然に現れてしまっていることでしょう。私は人が生を受け、この世に生まれてくるのは、この世でこういう事を学びなさいと、神が我々に宿題を与えるからだと思っています。これは別に哲学や宗教でなく、苦労があまりにも重なった末、自然に生まれてきた、私自身の経験則です。かといって苦労した人の音楽が必ずしも素晴らしいという訳はない。変な誇りや間違った自己愛をきれいさっぱり落としてからでないと、苦労を「勉強」として受け入れることは出来ません。謙虚で感謝の心があって初めて、苦労や痛みが「自分のもの」になる、「人間としての勉強(イコール神様からの宿題)」が出来る。だから毎朝目が覚めると「いつ死んでも好いように、今日という日に出来るベストを尽くそう」そう思いながら、日々生きています。

Q:これだけ多くの大舞台で演じられて、体調・声を良い状態に保つ秘訣を教えて下さい。

新しい役を暗譜しているときは朝4時に起きて夕方4時まで勉強し、その後夜の10時まで事務仕事をします。この18時間労働は日曜日も祝日もなく、毎日ですので、日頃から風邪を引かないのも芸術のひとつと、冗談抜きで思っています。例えば日本から私を聞きにウィーンまで飛んでこられた方に対して、「昨日、強風の中着用したセーターが1枚少なかった為、風邪を引きました、今日はキャンセルです、はいごめんなさい」では済まされないからです。「都市から都市へと移動して、沢山観光できる うらやましい職業」という方がいらっしゃいますが、大間違い。私はどの都市へ行っても空港、ホテル、オペラハウスしか知りません。ウィルスがうつる、人の沢山いる所へは行かない、風の中を歩かない、タバコを吸う人が横にくれば食事半ばでもすぐに出る、大袈裟な程厚着をする、何しろ手を洗う、声帯を使いたくない為、なるべく話さないで必要時は筆記談、就寝時はのどを巻いて寝る、コーヒー、砂糖、スナック類、肉、アルコールは一切摂取しない、野菜、果物、魚類を中心に採り、毎日体力保持のため1時間ジョギングするなど、24時間毎秒毎分、喉のこと、体のことしか考えていません。歌手であることは「喉及びからだの奴隷」であるということです。マドリッドに2ヶ月もいて、なぜプラド美術館に行けないのか?聴衆に対して「美術館待ちの入り口の列で風邪を引きましたので歌えません」とは、私にはどうしても言えないからです。

Q:オペラでの活躍の場の多い藤村さんですが、前回MUSEではブラームスのワーグナーの歌曲を取り上げていただきました。リートに対する思い、また聴衆へメッセージをお願いいたします。

私は心からリートを愛しています。実はドイツに行ったのは「リート」の勉強をするためだったのです。歌曲のレパートリー130曲ほどあるでしょうか。しかし「ではなぜリートがそんなにお好きなんですか?」と聞かれても困ってしまう。皆さんも「なぜクラシック(或いはオペラや室内楽)が好きなのか」と聞かれても、「肌に合うから」とか「ほっとするから」とは言えても、「ではなぜ、肌に合い、ほっとするのか」という理由は挙げられないのではないでしょうか。私はその「わけなし」というところが音楽の魅力だと思っています。理屈や、うんちくや、そういった事はまず忘れていただいて、ただ音に身を任せてみて下さい。本来音楽はそういうものだと、私は思っています。

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2009年10月
大阪 リーダーアーベント 2009年10月25日

「神殿に響く啓示」体験 バイロイト、ミュンヘン、ウィーンをはじめ、欧州のオペラハウスでひっぱりだこのメゾソプラノ藤村実穂子が、ドイツ歌曲のリサイタルで圧倒的な実力を見せつけた。プログラムはシューベルト、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集、リヒァルト・シュトラウス、マーラーの「リュッケルトの5つの歌曲」(2月25日、大阪いずみホール)。彼女の音楽を特徴付けるのは、声楽につきまといがちな偽りの情熱を徹底的に蒸留した、凛とした彫琢(ちょうたく)だ。驚くべき鍛錬を経た、技術的な裏づけもあるだろう。完璧な発音、歌詞の読み込み、綿密に彫り込まれた音程。しかも全てが何の作為もなく流れていく。しかしそれらは「日本人がよくぞドイツの歌曲をここまで」といった月並みな賞賛をはるかに超えた次元へと突き抜けている。ここにあるのはいわば「沈黙から生まれ、沈黙へ戻っていく音楽」だ。どの歌もモノローグのようにさりげなく始まる。しかし彼女のいくぶん翳(かげ)りのある端正な声は、瞬く間に聴衆を一つの大きな呼吸の中に導きいれ、我を忘れさせ、やがて神殿に鳴り響くような啓示となる。だが、誰かにあえて聞かせようとするのではない。これは限りなく内面に沈潜し、その孤独が宇宙の共振になるような音楽だ。そして歌い終わった跡には再び静寂が残る。その意味で、彼女のワーグナーやワーグナーに耳を傾けることは、ほとんど祈祷に似た体験であった。ロジャー・ヴィニョールズの伴奏も素晴らしく、例えばシューベルトにおける弱音が幾重にもにじみながら波紋を描き、そこから声が浮き上がってくる様子など、息をのむようなものであった。稀有の演奏会とはこのようなものを言うのであろう。岡田暁生・音楽学者 朝日新聞2009年3月6日夕刊

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2009年3月
東京 リーダーアーベント 2009年3月3日

「非日常へ誘い込むワーグナー」
 ドイツで地歩を固めるメゾソプラノの藤村実穂子が、東京で歌曲の夕を開いた。バイロイト音楽祭におけるワーグナーの楽劇で次々に成功を収めてきた藤村は、歌曲においてもワーグナーで非日常の魅力に満ちた深い世界を展開した(3日、紀尾井ホール)。

初めのシューベルトの5曲から、彼女は本質的でありながら独自の個性を示した。ある種、無色に近いような声で、一般的に抒情(じょじょう)に流れ がちなシューベルトの演奏を自ら戒めるように、過剰なものを一切排す。意味の無い音を一音も作らない。そこには、才能あふれるままに作曲したシューベルト ではなく、一音一音を突き詰めて構造的に作曲した、近現代に通じるような作曲家像が浮かび上がり、新鮮であった。とりわけ「ギリシャの神々」は抑えられた 清冽(せいれつ)な感情が沈み込むようで、深い世界を見ることができた。

 続いてワーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」に入ると、声に光と影が深く差し、一転して物語性を帯びてくる。たとえば微妙に音程を下げてそれが 解決されるとき、背後に甘い魅力がにおう。それは、ずり上げ・ずり下げではなく、そこにワーグナーの官能性を引き出す感性である。かげりを帯びたなかで展 開される多彩な色など、ワーグナー独自の感覚、語法が多様に繰り出されて、聴き手は自然に、夢と痛みがないまぜになった非日常へ誘い込まれる。第3曲「温 室で」の旋律は、ワーグナーが悲恋を描いた楽劇「トリスタンとイゾルデ」の第3幕に用いられているモチーフだが、そのままイゾルデの愛と死への思いが届い てくるよう。

 ピアノのヴィニョールズも、どの音を表に出すか和音のバランスが考え抜かれており、音楽の奥行きが素晴らしく深い。この曲でも、“トリスタン”第3幕前奏の低弦の響きを聴かせながら、ピアノでなければ出せない切なさをかもし出して、絶妙であった。

休憩後はR・シュトラウスとマーラー。R・シュトラウスでは、もう少し、崩れる寸前のような魅力も欲しいが、声自体としてはさらに伸び、メゾの深みを持ちながら力強い輝かしさを聴かせた。梅津時比古(専門編集委員) 毎日新聞 2009年3月10日 東京夕刊

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2009年8月
バイロイト2009年「パルジファル」(クンドリ)

ゴルゴタ道中のキリストを笑った、世紀にわたる多生のクンドリの苦悩を演じる藤村実穂子は、主役の中で最高であった。ワーグナーはクンドリを最初の二幕で荒々しい同志の助力者やクリングゾアの愛の奴隷にし、パルジファルを誘惑させようとしたが、藤村のクンドリはそれ程狂気でない。彼女の歌唱は完璧で、4オクターブのフォルティッシモのクンドリのテーマも容易にこなしてしまう。イントネーションも。ピッチも、フレージングまでも。ジヨージ・ジャーン、サン・フランシスコ・クロニクル 2009年8月28日

スターはクンドリの藤村実穂子だった。白と赤の衣装で、またはディートリッヒの衣装でパルジファルを誘惑するのだが、その代わりに、明白で典雅な音、しっかりした高音とドイツ語の発音(この分野では希少価値)で聴衆を誘惑してしまった。シュテファン・M・デットリンガー マンハイマー・モルゲン 2009年8月5日

バイロイト「パルジファル」でのスターは藤村実穂子のクンドリだった。思わず息をのむような可変性に富んだ彼女のクンドリでは、彼女の豊満な声の明暗法全てを満喫出来た。パウル・ヴィンタラー、メルクア 2009年8月3日

藤村実穂子のクンドリは多層的で多種多様で、聴衆から多大な拍手を得た。トーマス・ハイノルド、ニュルンベルガーツァイトゥング、2009年8月3日

藤村実穂子のクンドリは、ある時はヴァーンフリートの女中、ある時はマルレーネ・ディートリッヒと、全くもって魅惑的だった。ノイエ・ムジーク・ツァイトゥング、2009年8月2日

藤村実穂子はクンドリーとして、説得力のある人物像を描いた。ヨアヒム・ランゲ、デア・スタンダード、2009年8月3日

傑出した歌手は魅惑的な藤村実穂子のクンドリだった。ペネロペ・チュリング、ザ・ステージ 2009年8月24日

卓越したキャストのまず最初は藤村実穂子(クンドリ)。ルパート・クリスティアンセン、ザ・テレグラフ 2009年8月4日

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2009年7月
バイロイト2009年ラインの黄金(エルダ)

この指環の最初も総括的にあまりの大声で、歌詞が明瞭に聞こえないまま歌われた。ほんの少しの歌手だけが、静かな音と歌詞の聞こえるバイロイトの音響の恵みを知っている。それが理想的な時どう響くのかを、藤村実穂子のエルダは「ラインの黄金」で標榜した。フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング クリスティアン・ヴィルト・ハーゲン 2009年7月30日

藤村実穂子の、声と共にすぐに魔法の広がるエルダがなければ、どこか他のフェスティヴァルを選べばよかったと思う程であった。フレンキッシャー・ターク、モニカ・ベア2009年7月29日

藤村実穂子は秀麗なアルトで、奇跡的な花が咲いたようなエルダであった。OPオンライン、クラウス・アッカーマン、2009年7月29日

藤村実穂子のエルダは水晶の様に澄んでいた。フォークス・オンライン2009年7月28日

藤村実穂子のエルダは、べくしておびただしい拍手を浴びた。ノイエ・メルクア、アントンクパク2009年7月28日

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2008年12月
ウィーン国立歌劇場「神々の黄昏」

日本のメゾ藤村実穂子のワルトラウテは演技の集中力と言葉のはっきり分かる発音で、主役のブリュンヒルデをやっつけてしまった。ウルリッヒ・ヴァインツィール、ディ・ヴェルト

藤村実穂子のワルトラウテはまぶしく輝く光だった。マリアンネ・ツエグラー・フークト、ノイエ・チューリヒャー・ツアイトゥング

誰よりもまず藤村実穂子(ワルトラウテ)がアンサンブルのレベルをアップさせた。ゲルト・コレチュニック、クリエー

藤村実穂子は声がしっかり通り、強弱などの違いをはっきりさせたワルトラウテだった。ヴォルフガング・シュライバー ズュートドイチチェ・ツァイトゥング

集中力の役者藤村実穂子のワルトラウテ。藤村実穂子は悲しいワルキューレとして表現に満ちた歌を歌った。ヴィルヘルム・シンコヴィッツ、ディ・プレッセ

藤村実穂子は素晴らしいワルトラウテだった。ハインツ・ジヒロフスキ、ニュース

藤村実穂子のワルトラウテのシーンは感激の場面のひとつだった。カール・レーブル、オエースタライヒ

藤村実穂子は切羽詰ったワルトラウテを演じきった。エルンスト・ナレディ・ライナー、クライネツァイトゥング

嬉しいことに藤村実穂子のワルトラウテは新鮮に響いた。クリストフ・イルゲーヤー、ウィーナー・ツァイトゥング

日本のメゾ藤村実穂子がワルトラウテとして印象に残った。サイモン・モーガン、AFP

藤村実穂子に拍手喝采が送られた。クラスニッツァー dpa

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2008年11月
しらかわホール機関紙 2008年11月

ドイツのミュンヘンに留学して以来、ヨーロッパに住んで16年になる。今は亡くなってしまったハンス・ホッター先生について、大好きなドイツリートのレッスンを受けるのが目的だった。欧米人は見分けがつかないので、「アジア人」として差別されることに慣れなくてはならなかった。16年たった今でも人種差別との戦いである。ましてや欧風文化の集合体といわれるオペラの舞台に、しかも日本人の「蝶々夫人」ではなく、欧米人として立ち、演技をしようというのである。欧米人が日本の歌舞伎座に出演するようなものである。当たり前だが、表現出来ないほど痛い思いをし、今でもそういう思いをしている。なぜこんなに苦労しなければならないのか、なぜこんなに痛い思いをしなければならないのか、いつも問うこととなる。しかし「痛み」を何度も繰り返すといつか経験則が出来る。人が生を受けこの世に生まれてくるのは、この世でこういうことを学びなさいと、神が我々に宿題を与えてくれているのではないかと。もしそうだとすれば、私は非常に幸せな人間ということである。ならばベストを尽くさねばならない。しかしこのベストを尽くすという言葉は中々のくせものだ。何でもがむしゃらにやって、それを努力とするのは、残念ながら自己満足以外の何物でもない。自分の弱さ、思い上がり、欠点を振り返り、受け入れることが出来なければ、苦労を決して自分のものに出来ない。謙虚で感謝の心があって初めて、苦労や痛みが自分のものになる、人間としての勉強が出来る。沢山勉強したいので、早朝に起きて夕方4時まで勉強をして、夜の10時まで事務仕事という約16時間労働を休日なく過ごしている。風邪を引かないのも芸術(当然だ、うたえないのだもの)と、人の沢山いる(ウィルスの溜り場)所には行かない、喫煙者がいれば食事半ばでもすぐに出る、筆記談、コーヒー、砂糖、スナック類、肉、アルコールは一切摂取しない、体力保持の為毎日1時間ジョギングし、24時間毎秒毎分、喉のこと、体のことを考える。歌手であることは、「楽器である喉とからだの奴隷」ということである。なぜここまでして音楽がしたいのか?ときかれても困ってしまう。「なぜドイツリートが好きなのか?」と聞かれても困るのと同じである。だが、その「わけなし」が音楽のいいところだと思っている。音楽にうんちくも情報も理屈も知識も必要ない。音楽に身を任せることが出来ればそれ以上のものはない。でなければ音を楽しむことは出来ない。私にとって「生きる」ということはこれ以外に、無い。

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2008年7月
バイロイト音楽祭

藤村実穂子のクンドリーは強烈で、バイロイトで最高のものだ。ファイナンシャル・タイムズ、アンドリュー・クラーク 2008年7月28日

日本人のクンドリー藤村実穂子は、今までの全ての歌手とは違って動き、違った歌、違ったジェスチャー、違った顔の表情を示した。アドリブといった物は全く無く、この神経衰弱の音楽への解決となる、複雑な演技の表現主義を、まるで普通であるかのように演じた。藤村のことは忘れることが出来ない。2幕の彼女の巨人的な飛び「lachte」は私の全バイロイト滞在中唯一最も感動した瞬間となった。藤村の「Ich sah das Kind」は魅力的だった。ロビン・ホロウェイ、オペラマガジン 2008年10月

クンドリーの藤村実穂子は考え抜かれた歌唱で、今までより違った謎に満ち、「女性的」であるのは勿論、母性的、魅惑的、そして最後幕に女性市民になる。フランクフルターノイエプレッセ、アンドレアス・ボンバ、2008年7月26日

藤村実穂子のクンドリーは歴史的に阻害されたパルジファルの母ヘルツェライデを通し、深く相反した女性像を描いた。フランクフルター・ルンドシャウ、ハンス・ユルゲン・リンケ 2008年7月27日

藤村実穂子は或る時はかわいい女中、そして金髪のメルレーネ・ディートリッヒの混合を演じることの出来る、謎に満ちた、素晴らしく可変なクンドリだ。ウィーナーツァイトゥング、フォークス、DPA 2008年7月26日

藤村実穂子は変化に応変し声も柔軟なクンドリーだった。デア・シュピーゲル、ウェルナー・トイリッヒ 2008年7月26日

藤村実穂子のクンドリー公演は勇敢だ。 ザ・ガーディアン、マルティン・ケトゥル 2008年8月2日

藤村実穂子は絶望し心痛むクンドリーだ。 ニューヨークタイムズ、マイケル・キメルマン 2008年7月30日

藤村実穂子の演じるクンドリーは動物的なパワーと精神的多様性に満ちている。ブルームバーグニュース、シャーリー・アプソープ 2008年7月28日

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2008年3月
2008年3月ヴェーゼンドンクの歌曲・マリス・ヤンソンス指揮・バイエルン放送交響楽団

細身の藤村実穂子が今夕のワーグナーコンサートに、真の興奮を与え、沸き起こる感情の力で、この公演を星の様な演奏に方向転換させた。ロイヤルオペラで藤村のワルトラウテを聞いた者は、彼女がほんの小さな事柄から多くを拾い出すことを知っている。これを彼女はまるで当然であるかの様に行った…頻繁にワーグナーのかげろう作品として,勇ましい婦人達に服従使い古されるこの曲に対しても。

ヴェーゼンドンクの歌曲のメロウな情趣は、メゾ藤村実穂子の優しく同時に情熱的に開花できる音色で、胸を刺す様に歌われた。テレグラフ・ジョージ・ノリス2008年3月11日

ヴェーゼンドンクの歌曲は静寂のオアシス(元々はピアノ伴奏)となり、多くのオーケストラ奏者が舞台を去って比較的大きな室内楽オーケストラとなり、ほとんどがモットゥルの手によるオーケストレーションであるこの曲を解釈できる最高のメゾの一人藤村実穂子を伴奏するために残った。この六曲をよいツィクルスにするのは難しい。しかし彼女はふさわしい昵懇と、この巨大なホールを満たす為自分の声に膨らみをもたせる自分を時折認め、ヤンソンスはそのような彼女を洗練さと裁量で支えた。ミュージカルポインターズ・ペーター・グラハム・ウールフ

ヘルクレスザールで、このヴェーゼンドンクを聞くことは、聴衆にとっても、響きとしても、非常に気持ちのよいものだった。「温室にて」は熱帯の蒸し暑さではなく、運命的な悲哀として、今公演の心の曲となった。トーマス・ヴィルマン アーベントツァイトゥング

藤村実穂子が登場し彼女の暖かなメゾ声が、オーケストラとすばらしく混合した。ロベルト・ブラウンミュラー TZ

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2006/2007年
8月
バイロイト音楽祭 

2006年:
全てにおいて抜き出ていた歌手の為に、少なくとも10分は時間を取って話したいところだ。藤村実穂子のワルトラウテの「世界救出」の声は、傑出したテキストの扱いだけでなく、美しい響きでありながらなおかつ表現力あふれ、フレキシブルで、(この様な歌手は)ここ20年間のワーグナー界に存在しなかった。聴衆から一番の拍手をもらった。ヴォルフ・ディーター・ペーター / ドイツ・クルトゥア・ベルリン「ファツィット」、バイエルン4クラシック「アレグロ」

中でも抜きん出ていたのは藤村実穂子のエルダだった。低くしかもドラマティックな女声が、完璧な美として聞けるのは本当にまれである。これに加えフジムラの舞台上での存在、声のオーソリティをもって、全シーンはエルダにくぎ付けになってしまった。魔法のような瞬間だ。「全知(のエルダ)」がこのように響き渡るのを聴けることは、なんという喜びであろうか。ローマン・コッホル / ノルトバイエリッシャークリエ

藤村実穂子のエルダは力強い暗さで、人々の心を狂わせた。ユリア・スピノーラ フランクフルター・アルゲマイネ

藤村実穂子の素晴らしく満たされた、ベルベットのような完璧なアルト(声)には、(「神々」の前の「ラインの黄金」、「ジークフリート」でも)驚かされたが、(今回の神々でも)ずば抜けていた。…全「指環」を通して歌手として、藤村実穂子が勝っていた。ユリア・スピノーラ / フランクフルター・アルゲマイネ

「TZバラ賞」ミホコ・フジムラ 藤村実穂子のワルトラウテは大きく、角の無い、若さにあふれたアルト声に加え、人々の心を声と演技とで、どんどん緊張させる才能まである。秀越の出来であった。ベアーテ・カイザー / TZ

藤村実穂子のエルダは素晴らしい音程で、しかも完璧であった。深く印象に残った。ヨアヒム・カイザー / ズュートドイチャー・ツァイトゥング

源の母としての短い登場にもかかわらず、大きなアウラで藤村実穂子は、完璧なエルダだった。シュテファン・マウラー/ NTV

暗く謎めいた表現豊かなアルトで藤村実穂子のエルダは光り輝き、まるで宇宙の彼方から来たようだった。ジャン・パウル・ベッテンンドルフ ルクセンブルガー・ヴォルト

一番の拍手喝さいを受けたのは秀逸の歌手、日本人の藤村実穂子のワルトラウテだった。彼女は全くもって聴衆のお気に入りである。オスナブルッカー・ナハリヒテン

ゆったりした藤村実穂子の低声は、今夕のハイライトだった。スザンネ・キューブラー / ターゲス・アンツァイガー

歌手の中で最も賞賛されたのは藤村実穂子の「暗い声」のエルダ(アンソニー・トマシーニNYタイムス)と、「強烈」(AP通信)で「電激的」(FT通信)なワルトラウテだった。ヴィヴィエン・シュヴァイツァー / Playbillarts

2007年:
素晴らしいエルダ、藤村実穂子の声は、低音が響く、美しく、そして「止むことの無い悲しみ」そのものだった。ルドルフ・イェッケレ/ フランクフルター・ノイエ・プレッセ

ヴォータンとミホコ・フジムラのエルダはドラマティックな会話シーン、フジムラの声は力強い低音、暗いアルト色だった。ジョーン・ポール・ベッテンドルフ / ルクセンブルガー・ヴォルト

藤村実穂子によってエルダの心配は聴衆に届いた。彼女のワルトラウテは、最高の激しさと内からの深みで、公演中の最高の「解釈」となった。ブルーノ・ノイマン / オバープファルツネッツ 

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2005年11月
マーラー「リュッケルトの詩による歌曲」

日本のメゾ、ミホコ・フジムラは満ちた低音と、充実したP、完璧なテクニックで声を制してしまった。彼女の演奏は強弱の分け方、明晰なフレーズの作りと明確なドイツ語の発音に徹した。エルンスト・ナレディ・ライナー / クライネ・ツァイトゥング

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2005年10月
パリシャトレー劇場

「ミホコフジムラの声と演技力、両方の美しさがこのワルキューレを圧倒的に支配する(記事見出し) このプロダクションのヒロインはミホコ・フジムラだった。彼女の維持する線の演技の美しさ、彼女の線を維持する声の美しさ、家庭の女神である彼女のフリッカは、ワーグナーが表現したかったであろう、まるでリートの様な彼女のフレーズのつくり方は、耳に残るほど天才的だ。彼女こそ騒乱と多くの感嘆の的となる、真のグランダームである。マリー・オード・ルー / ル・モンド

話が出来ない程の悲しい娘、ワルトラウテの熱愛と白熱を歌ったミホコフジムラへの熱狂感嘆合戦が、再開した。ル・モンド

キャストには全て暖かい拍手が聴衆から送られたが、フランスの各新聞の批評は、ミスキャストと、厳しいものが殆どだった。これに対して、フリッカを演じたミホコ・フジムラにはその声の美しさと舞台での存在感で、数限りない手放しの褒め言葉が送られた。ニューヨーク・タイムズ 

普通ヴォータンの口喧しい妻がヒロインとなる事はバッドニュースである。しかしミホコ・フジムラはステージを自分のものとしてしまった。それは彼女の声が輝かしいとか、彼女の発音が緻密であるというだけではない、彼女の静かな姿勢が、喧騒で一杯の毎日の生活から ウィルソン演出の歌舞伎演出に引き入れたという、だけではなかった。 アレックス・ロス / ニューヨーカー・マガジン

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2005年4月
ロイヤル・オペラ・ロンドン ワルトラウテ「神々の黄昏」 

カーテンコールの最大の拍手で、聴衆の厳しい審判に打ち勝ったのは、日本のメゾ、藤村実穂子ワルトラウテだったと、初日客は明確に認識した。これは藤村のハウスデビューで、1幕のほんの短い登場だけという条件にも拘らず、彼女のベルベットのような音色、テクニック、見事としか言いようのない発音法、テキストの理解と表現力で、ステージを完全に自分のものと支配してしまったからである。マイケル・ケネディ / 「オペラ」誌

この夜断然に最高の歌を聞かせたのは、美しく行き来する演技と暖かい音色で歌ったROHデビューの藤村実穂子だった。ディビッド・メラー / ザ・メール・オン・サンデー

本当に傑出したパフォーマンスは、ワルキューレの終淘に打ちのめされた「狂乱」からプリンセス「戦士」に急進的に変身した演技を見せたワルトラウテ役、日本のメゾソプラノの藤村実穂子だった。このブリュンヒルデの姉妹から「神々の黄昏」の奇跡が明確に生まれたと言う以外に言い様がない。ヒュー・カニング サンデイタイムズ

藤村実穂子は一見小さいが、感動的なワルトラウテを歌った。彼女の緊急のメッセージが、今公演を彼女のリサイタル以上にしてしまった。これまでの指環はこれまで非常に盛り上がってきたが、この最終夜では彼女のリサイタルにしてしまった。 ミヒャエル・タナー / ザ・スペクテイター



観客の心を奪ってしまったのは、少なからずセンセーショナルなワルトラウテ、藤村実穂子のシーンによっている。ジ・インディペンデント

細い体から出る顕著なヴォリュームでブリュンヒルデに主張する藤村実穂子の手本の様なワルトラウテは、全6時間の公演中最も効果的なシーンだった。アンソニーホールデン オブザーバー

ブリュンヒルデへの驚くべき関わり合いを見せたのは藤村実穂子の、姉妹ワルトラウテとして、激しい苦悩をあらわに表現する豊かな声だった。驚がく的なデビューだ。プリチャード / シーン・アンド・ハード

ワルキューレとして、ブリュンヒルデの理解を呼び起こそうとする藤村実穂子のワルトラウテは、そのメゾソプラノの声区で、極上に磨かれたオーボエのような音色を生み出した。コベル / シドニー・モーニング・ヘラルド

藤村実穂子のパワフルなワルトラウテの声は、英雄的にオペラハウスに鳴り響いた。ブライアン・ヒック / ミュージカル・オピニオン

繊細さと重量を量ることが出来るメゾの藤村実穂子は崇高なワルトラウテを演じた。ジョン・アリソン / セブン

ワルトラウテのシーン(感動的な藤村実穂子)は音楽的奇跡となった。マルティン・コェール / ノルド・バイエリシァー・クリエ

藤村実穂子のワルトラウテは崇高さで人の心を動かした。フィオナ・マドックス / イブニング・スタンダード

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EMI-CD
EMI‐CD 「トリスタンとイゾルデ」

…EMI監督ペーター・オルウォードは、同社を引退する前に、同じく引退を前にしようとする歌手をトリスタンとし、卓越した指揮者とキャストで再度録音したいと思った。…オルウォードは常に目と耳でニューカマーを明白に感知することを、イゾルデの同伴者ブランゲーネで証明した。バイロイト音楽祭でのフリッカ及びワルトラウテとしてよく知られている藤村実穂子は、その美しい声だけでなく、テキストの要素を決して見逃さない。藤村の声は今まで録音されたどのブランゲーネの声よりも明るく、2幕の警告のアリアでこの様に容易に二人の恋人の上を漂う録音は、今まで決してなかった。これは若いアーティスト藤村の熟考し、修養を積んだ賜物と思われる。英

ブランゲーネが全体を通して魅惑的で、しかも暖かく焦点の合った声で歌われるのは稀有である。ジョン・アリソン / グラムォフォン

ミホコ・フジムラのブランゲーネにはライヴァルは居ない。仏・フィガロ誌

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2005年3月
パルシファル ウィーン国立歌劇場

藤村実穂子のクンドリーが最も偉大な瞬間は、パルシファルが世界炯眼となる「初めてのキス」の際に、震えるような緊張感がオーケストラピットからも感じとられた。ライナー・エルストナー / ウィーナーツァイトゥング

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2003年1月
ドイツ・オペラ・ベルリン「指環」

この演出を再び見ることが出来とこと同時に、歌手の面でもここに着て聴くことができ幸せだと思わされた。第一に挙げるのはフリッカ役の藤村実穂子だ。彼女からは全ての歌詞がわかる(本来ならば全ての歌手がそうあるべきなのであるが、残念ながらそうではない)。それだけではない、彼女は多くの声の色でヴォータンの妻を彼女固有の、決定的な特色で演じる能力がある。聴衆は力ずくで目的を達するフリッカでなく、夫の心理を精密な計算でからみ合わせるフリッカを体験することが出来た。力ずくでなく、頑強に、静かに、的をはずさず、ヴォータンを縛り上げた。ヤン・ブラッハマン / ベルリーナー・ツァイトゥング

何しろ素晴らしかったのは藤村実穂子だった。灼熱するような音色の声、歌詞が素晴らしくはっきり分る、偉大なるフリッカであった。クリスティーネ・レムケ・マトゥウェイ / ターゲス・シュピーゲル

藤村実穂子の決然としたフリッカは非常な印象を残した。彼女のエルダが楽しみである。ロレンツ・トメリウス / MOZ

藤村実穂子のフリッカ、エルダ、ワルトラウテは歌詞がはっきり分かり、人々に非常な印象を残した。ケルステン・リーセ / ベルリーナー・モルゲンポスト

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2002年7月
バイロイト音楽祭2002 デビュー

「藤村実穂子・スターの誕生」(記事見出し) 今スターが誕生した。藤村実穂子はワールドクラスの女神である。このメゾはフリッカという役を、どの単語も書き取れるほど分かりやすく、完璧にコントロール出来た、大きく響く声で歌い、最後のカーテンコールで最も多くの拍手を浴びた歌手となった。 アンドレアス・ギュンター / ヘッシッシェ-アルゲマイネ-カッセル

「公正性を武器に」(記事見出し) 指環初日二日の最大の発見は、敵を屈服させる颯爽さと力強い声、明晰に熟考し周囲を絶対的に圧倒する、藤村実穂子の演技であった。もともとフリッカに公正性を義務付けておきながら、救いがたい取り決めに自分自身巻き込まれたヴォ-タンに対して、彼女の公正性は武器として極めて効果的に全面利用された。夫婦の原則をめぐってのこの論争シーンは、身の毛もよだつ隔世遺伝の様な瞬間の連続にストリンドベルイ的な心理劇となり、場面としても音楽的にも公演の最高のクライマックスとなった。ゴットフリート・クナップ / ズュートドイチェツァイトゥング

「ワルトラウテのシーンがフリム演出の神々の黄昏の水準を標準以上に上げた」(記事見出し) 劇場での感動と魅力にとりこにされ、時と場を忘れるという魔法のような時間というものが、現代にまだあるのだ。キャスト表を見てうすうす予感はしていた。藤村実穂子という名前は、バイロイト音楽祭で高品質を保証するものである。しかしこの集中力たるや、驚きであった。土曜日の「神々の黄昏」1幕は、ドラマトゥルギー最高のクライマックスだった。ワルキューレの一人ワルトラウテが、「ジークフリートの愛の証」である「指環をラインの乙女たちに返せ」というワルトラウテのシーンは、普通は聴衆の感情にブレーキを掛けるものである。しかし藤村実穂子はそれが違うことを証明した。素晴らしく明確なドイツ語の藤村実穂子のワルトラウテは、感情は救済の最終手段を成功させる為に抑止し、冷静な理性で献じた。相違った二つの性格の間に交わされる論争が激しく衝突し、ワルトラウテにはもうブリュンヒルデの将来について言うことは何もないということを、藤村実穂子は声楽的にも印象的に転化した。ゴルディアン・ベック / ノルド・バイエリッシャー・クリエ 

2幕になって、明確にいえば藤村実穂子のフリッカの登場によって印象は変わった。ガラスのようにはっきりしたドイツ語、敏速に動くことの出来る彼女のメゾ声で、鋼鉄のように厳しいフリッカは、彼女の権力を再度得ることが出来た。 ゴルディアン・ベック / ノルド・バイエリッシャー・クリエ 

特別印象に残ったのは藤村実穂子が、過去の有名な女性歌手たちと戦わず、彼女独自の、しかも声の美しいフリッカとして舞台に立っていたことだった。フリードリッヒ・ポール / ドレスデン・ノイエステ・ナハリヒテン

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2002年6月
「ワルキューレ」 ミュンヘン国立歌劇場 2002

ここ数年で最高の厳格な女神フリッカの藤村実穂子。この新フリッカはヴォータンの権力ゲームを、厳格なる態度と実に魅力あるメゾの声で、緻密に計算された分岐点、彼女のシーンとしてしまった。ヴォルフ・ディーターペーター / バイエルンラジオ、ミッテルバイェリッシェ・ツァイトゥング

「スター賞」ミホコ・フジムラ 驚きであったのは藤村実穂子の濃厚で完璧な女神フリッカであった。彼女にはヴォータンも従うしかない。マリアンネ・ライシンガー /アーベントゥ・ツァイトゥング 

驚きは藤村実穂子のフリッカであった。彼女は夫婦とモラルの純粋な教えだけでなく、純粋な声楽芸術の教えまで務めた。ヴォルフガング・バーガー / ズュートクリエ

藤村実穂子のフリッカは結晶質の天才である。英・エグベルト・トル・ファイナンシャル・タイムス 

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2000年10月
ブランゲーネウィーン州立歌劇場

ミホコ・フジムラはウィーンで初めて歌ったが、長年経って新しく、新鮮で、素晴らしく響く声で二幕の「RUF」を歌った。フランツ・エンドラー / クリエー

ミホコ・フジムラがウィーンで初めて歌った。彼女は声PrAESENZ と、大きなフレーズを何事も無かったように楽々と歌った。ライナー・エルスター / ヴィィーナーツァイトゥング

声の艶と感覚に富み、なおかつ危ういところの全くないブランゲーネ、藤村実穂子のウィーン・デビューは、全聴衆を感動させた。彼女を再び聞けるのを唯々願うばかりである。ディミトリー・フィンカー

藤村実穂子は、実によく響く声だけでなく、表現のニュアンスというものを如何に声にうつしかえる事が出来るかということまでも示した。彼女に並ぶ歌手は、他に誰もいない。 W・シンコヴィッツ / ディ・プレッセ

藤村実穂子には神のような偉大さがある。役に欠かせぬ気高さを失うことなく、貫通力のある声でフリッカを歌い通した。 W・シンコヴィッツ / ディ・プレッセ

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2000年11月
ヴェルディ「レクイエム」ミュンヘン・フィルハーモニー

「スター賞」ミホコ・フジムラ 演奏中最も偉大なる時は、まさしくこの世のものとは思えないアルト、藤村実穂子が歌う時だった。高音にいっても低音にいっても完璧に響く彼女の声に、世界中の歌劇場が夢中になるのも無理はない。 M・ライシンガー / アーベント・ツァイトウング

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2000年10月
ロジーナ

声のレベルは藤村実穂子が支配してしまった。ワーグナー歌手として成功しているにもかかわらず、はっきりと焦点の合ったこのメゾの声は、恐ろしい程フレキシブルだった。エルンスト・ナレディ・ライナー / クライネ・ツァイトゥング 

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1999年11月
カルメン

「声の洗練さ 藤村実穂子が印象深い声でグラーツオペラでカルメン役デビュー」(記事見出し) 説得力のある演技、声、どちらをとっても藤村実穂子のカルメン解釈は、全くもって偉大である。日本人の彼女は明るい音色の精練された声と、洗練されたダイナミックな分化で歌い通す。最大の成果は二幕最初のアリアであった。どんな動きにも妨げられず、誤った低音を混ぜることがない。最終フィナーレでは、カルメンの「不屈の誇り」を壮麗に演じきった。 エルンスト・ナレディ・ライナー / クライネ・ツァイトゥング

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